SNSでは本当の人間関係は築けない? | ペパーミントパラダイス

SNSでは本当の人間関係は築けない?

こんにちは^ ^

クリスチャンブロガーの
ペパーミントあいです。

今日はハロウィンも近いので
「本当は超怖いハロウィンの起源」
の話でもしようかなと思いましたが、

読んでくれた方が最後に
気持ち悪くなってしまったら
申し訳ないのでやめました。

代わりに父・古川第一郎の本とSNS嫌いの
友達の話でもしようと思います。

手前味噌ではありますが、
お付き合いいただけると嬉しいです^ ^

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父・古川第一郎について

父・古川第一郎は日本キリスト教改革派教会の
牧師でしたが、2008年に亡くなりました。

父の没後、ありがたいことに色々な方の尽力で
生前の説教集「希望の証明」が作成されました。

今日はその希望の証明の一章に
書いてあったことから、
特に心に残ったことを語りたいと思います。

レプタを献げたやもめの話

その章では、

「その人自身を見ること」と
「キリストに学ぶこと」と
について語られていました。

あと、レプタ銅貨を献げたやもめの話も。

この例え、説教などで語られると、
「全財産献金しろと言うわけではないけれど」
と前置きされつつ、

結局「全財産献げた素晴らしい!」に
終始しがちで凄く苦手な箇所なのですが、

父は「イエス様はこのやもめ自身を見ていた」
ことに言及していました。

そして、当時のイスラエルのやもめが
いかに世間の底辺にいる立場であるかを
事細かに説明。

底辺の側にいるやもめで、
貧しくて少ない額しか捧げられなくて笑われても
堂々と胸を張っていられるのは、
キリストに学んだ人間であるから、

と結論づけていました。

イエス様はそんなやもめ自身のことを
見ていた、と。

(堂々としていた、とは、
聖書には一言も書いてはいませんが)

SNS嫌いの友達の話

「その人自身を見ること」と聞いて、
私は真っ先に、前の前の教会で
一番仲が良かった人のことを思い出しました。

今は連絡を取っていませんが、
当時の私にとっては聖書やイエス様について
教えてくれたり、

悩んでいることや苦しんでいることに
ついて相談に乗ってくれる、
信頼出来る人でした。

その彼女との関係が悪くなったのは、
私がツイッター上での人間関係の悩みを
相談するようになってからです。

彼女は異常にツイッターを毛嫌いし、
リアルでのコミュニケーションばかりに
執着していました。

リアルで顔と顔を合わせ、
声音と表情とリアクションの全てが
揃ってこそ本当のコミュニケーションが
取れると思い込んでいました。

ツイッター上で人間関係が上手く
いかない原因は、全て顔が見えないゆえに
誤解が生じているからであると
決めつけていました。

実際にツイッターを使いこなしている
人からしたら、それはむしろ逆で、
リアルだけの付き合いでは見なくて済む一面が
ツイッターでは見えてしまうことが辛い、
ということが分かると思います。

でもそのことを言うと、
物凄い剣幕で逆上し
「その考え方は間違いだ!セコイ!」
と罵倒してきました。

表情や声色なんて、
どれもいくらでも演じることが出来るのに。

ツイッター上での発言から見えるのは
その人の「言葉」だけですが、

リアルでは言葉に加えて
その人の「表情と声とリアクション」も
同時に見ることが出来ます。

でも結局は、
表情と声とリアクションを
見ているに過ぎません。

その人自身を丸ごと見るには、
そもそも五感では出来ないのです。

言葉と文字情報の威力

彼女はSNSでは、これらが全部削ぎ落とされて
言葉だけになるから誤解が生じ、
本当のコミュニケーションにならないと言います。

でも新約聖書のヨハネによる福音書の冒頭には
「言葉は神であった」という記述があります。

映画は吹き替えより字幕の方が
心に残りやすいというデータもあります。

文字情報が頭にインプットされるから
だそうです。

片付けコンサルタントの近藤麻理恵さんは、
文字情報のラベルは極力剥がすように
アドバイスしています。

洗剤などの「消臭!」などの文字は、
あるだけでずっと「消臭!」「消臭!」と
言われている気がして、
落ち着かなくなるからだそうです。

「言葉は神であった」とまで言われる
くらいだから、言葉の威力って
凄いんだと思います。

そして文字情報の威力も。

むしろツイッターなどのSNSは、
表情などの余計な惑わすものが削がれる分、
ダイレクトにその人の本心が現れるんじゃ
ないかとさえ私は思います。

言葉選びが悪くて意図が間違って伝わる
側面もあるとは思いますが……

でも間違って伝わった時に
相手に与えるダメージが大きいのも、
言葉の威力ゆえ、ですよね。

SNSが地雷だった?

父は、電話だけでカウンセリングしていた人、
メールだけのやり取りの人とも
「その人自身と出会っていた」と話します。

「会って」はいないけど「出会って」はいた、と。

彼女はリアル以外を否定しすぎて、
SNS では初めからその人を見ようと
していないのではないかと思いました。

だから出会えないんだと思います。

表情と声とリアクションという
「惑わすもの」を削ぎ落とした
その人自身を見れていないのでは
ないかと思います。

でも、ある人は
「それが彼女の地雷だった」と推測していました。

信頼していた彼女に逆上されて
「セコイ!」呼ばわりまでされて落ちこんだことを
別の人に相談したら、そう言われました。

言われてみるとそんな気もします。

彼女のSNS毛嫌いぶりは、
はっきり言って異常です。

他のことではいつも冷静なのに、
SNSが絡んだ途端、人が変わったように
「表情と声色が見えないからダメ!」
の一点張りの頑固者に豹変する節がありました。

私も「彼女自身」を見れていない

私も彼女自身のことは見れていません。

彼女のSNSへの異常な毛嫌いぶりの
一面しか見えません。

だから彼女の存在がとてもトラウマです。

彼女自身のことが見えるようになれば、
もっと変わるのかな?と思います。

彼女に対して今出来る最大の愛の行為は
「距離を置いて関わらないこと」ですが、

イエス様が本当に望んでおられるのは
「彼女自身を見ること」ではないかと
思います。

みんながその人自身を見ることが出来る
ようになれば、
あらゆる人間関係のトラブルはなくなる。

精神疾患もなくなる。
犯罪もなくなると父は言います。

イエス様はレプタを献げたやもめの
話を通して、

「みんなもっとその人自身を
見るようにしようよ」

と教えていると話しました。

この例えを献金くれに繋げなかった父、
すげー!と手前味噌ですが思いました!笑

その人自身を見るためには

「その人自身を見る」ためには、
キリストに学び、
イエス・キリストというレンズを通して
相手を見ることだ、

と著書の中で父は話していました。

そしてキリストのレンズを手に入れるには、

「キリストを心にお迎えすること」と
「毎日キリストに触れ続けること」が
必要だと。

キリストを心にお迎えすることは
イエス・キリストを信じること、

毎日触れ続けることは
聖書を読んでお祈りすること、
あと日曜日に教会へ行くことです。

まあ、結局最後はそうなりますね^^;

でも、基本が一番大事!

そうなれるように祈りつつ、
日々キリストに触れ、学び続けたいと
思います。

以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!

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