[ai] 教会がなぜ必要なのか、使徒信条の条文を通して学ぶ | ペパーミントパラダイス

[ai] 教会がなぜ必要なのか、使徒信条の条文を通して学ぶ

こんにちは^ ^

クリスチャンブロガーのペパーミントあいです。

少しあいだが空いてしまいましたが、
2016年11月13日は草加松原伝道所の日曜礼拝に
参加してきました。

そこで語られた説教の内容を、
ブログにてシェアさせていただきたいと思います。

なぜ教会は必要か

この日の説教題は「教会はなぜ必要か」。

使徒信条の条文を通して、
教会と生徒の交わりについて学びました。

説教は東川口シャローム・チャペルの
櫻井良一 牧師がして下さいました。

読んだ聖書の箇所は、
以下の箇所です。

「わたしも言っておく。
あなたはペトロ。
わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。
陰府の力もこれに対抗できない」
(マタイによる福音書16章18節)

教会は信仰の対象ではない

多くの教会で、
毎週日曜日の礼拝の中で
使徒信条を告白していると思います。

使徒信条の最後には、
以下のような条文があります。

「われは聖霊を信ず。
聖なる公同の教会、聖徒の交わり、
罪のゆるし、からだのよみがえり、
永遠のいのちを信ず」

聖なる公同の教会と聖徒の交わりを信じる、
の部分に着目してみたいと思います。

信じる、と告白していますね。

教会が信仰の対象になってしまって
いるのでしょうか?

そうなると、十戒の第一戒
「あなたはわたしを置いて他に神が
あってはならない」

に、違反することになってしまいます。

ここで言われている「信じる」は、
教会を神様と同じように信仰する、
という意味ではありません。

前後の条文から考えて、

「聖霊は聖なる公同の教会と聖徒の交わりを
通して働き、イエス・キリストの救いによる
喜びと祝福を与えることを信じる」

と読み解くことが出来ます。

罪のゆるし、
からだのよみがえり、
永遠のいのちは、

全てイエス・キリストを信じた人にのみ
与えられる特権。

信じて救われたことによる
喜びと祝福を象徴する表現であると
考えることが出来ます。

聖なる公同の教会について

「聖なる公同の教会」とは

では、ここで言われている
「聖なる公同の教会」とは、
どのような教会なのでしょうか?

「聖なる」は、
神様を表す大切な属性の一つ。

「神様によって建てられた、ただ一つの教会」
と考えることが出来ます。

マタイ16章18節で、イエス・キリストは
「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」
と語っておられるので、

この教会の創始者はイエス・キリストという
ことになりますね。

そして、
教会はそれを物理的に建てた人のものでも、
そこに属している人のものでもなく、
イエス・キリストのものであると言えます。

そこに属している人も、
イエス・キリストのものであると言えます。

私たちは現在、
地上に存在する様々な教会に通っていますが、

全ての教会はこの「聖なる公同の教会」
の一部なのです。

そこに属している私たちも、
キリストへの信仰を通して、
聖なる公同の教会の一員とされています。

「カトリック」の本当の意味

この「公同の教会」をラテン語もしくは
ギリシャ語に訳すと「カトリック」という
言葉になります。

カトリック、と言われると、
キリスト教の教派の一つであると
真っ先に思いますが、

本来の意味は、
全ての信仰者が集められ、
所属するただ一つの「公同の教会」
という意味なのです。

「岩の上」の解釈の相違

カトリック教会とプロテスタント教会では、
マタイ16章18節の「岩の上」に対する解釈が
大きく異なります。

カトリック教会では、この「岩」を
〝ペトロという特定の個人〟
と解釈してきました。

理由は、「岩(=ペトラ)」が
イエス・キリストが弟子のシモンにつけた
愛称だったからです。

現在のローマ・カトリック教会のトップは
ローマ教皇ですが、教皇は代々、
自らがペトロの後継者であると名乗っています。

そして、天国への鍵はペトロの後継者が存在する
ローマ・カトリック教会のみが持っていて、

救われたければローマ・カトリック教会の
信者にならなければならない。

自分たちこそがこの地上に唯一存在する
「カトリック」教会であると自称しているのです。

一方でプロテスタント教会は、
このような聖書解釈は採用していません。

イエスのこの言葉は、
直前の16節でペトロの言った言葉

「あなたはメシア。生ける神の子です」

という、正しい信仰告白に対する応答
として言われています。

なので、ペトロという特定の個人の上ではなく、
ペトロの正しい信仰告白の上に教会を建てる、
という意味であると考えます。

なので、天国への鍵を持つことが出来るのは、
ペトロの後継者がいるかどうかではなく、

ペトロと同じ正しい信仰告白を出来ているかに
よるのです。

私たちは洗礼式や毎週日曜日の礼拝で
この信仰告白を繰り返し行っていると
思います。

なので私たちは、
この正しい信仰告白を通して、
聖なる公同の教会の一員とされているのです。

地上の教会が「聖なる公同の教会」となるためには

私たちは、
ペトロと同じ正しい信仰告白を通して
「聖なる公同の教会」の一員とされています。

でも、地上の教会が「聖なる公同の教会」の
一部となるためには、

守らなければならないことが
2つあります。

1つは、
聖書の言葉に基づく正しい福音の説教
がなされていること。

もう1つは、
聖書に基づく正しい聖礼典
が執行されていること。

これらのことがきちんと守られて初めて、
私たちの属する地上の教会は
「聖なる公同の教会」の一部であると言えます。

ただ教会と名前がついていて、
建物に十字架が掲げられているだけでは
「聖なる公同の教会」とは言えません。

みことばを語らない、
聖書に基づく説教がなされない、
人の思想や信条を語るだけの教会は、
本当の教会とは言えません。

聖書の教えを忠実に守って、
教会は初めて教会であると
言えるのです。

聖徒の交わりについて

「聖徒の交わり」とは、文字通り、
教会に集まるクリスチャン同士の
交わりです。

教会が聖なる公同の教会となるためには
教会と神様の関係が正しいものである
必要があるように、

聖徒の交わりも、
そこに集まるクリスチャン一人一人が
神様と正しい関係にあって初めて、
成立します。

私たちが一人一人、
神様と正しい関係にあり、

私たちが聖書のみことばに従い、
神様のために生きようとする時、

聖霊なる神が
私たちの交わりの内に
豊かに働いて下さいます。

この聖徒の交わりは、
キリストの救いの恵み、
様々な賜物、
愛で満たされています。

聖なる公同の教会と聖徒の交わりは、
神様の栄光を表すためにあるのと同時に、

そこに集まる信仰者を慰め、励ますために、
神様が私たちに与えて下さったものである
ことを信じていると、

使徒信条は私たちに教えてくれて
いるのです。

感想

ちょっと色々あって、

「信仰さえあれば教会なんて
行かなくていいじゃん」

と思っていた矢先に語られた説教でした。

この説教を聞いてまもなく、
聖霊は聖徒の交わりを通して
働くのだということも、
身をもって学びました。

感謝いたします。

以上、ペパーミントあいがお届けいたしました。

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