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[ai] 詩篇5篇 早朝の祈りについて

こんにちは^ ^

ペパーミントあいです。

2016年10月16日 草加神召教会リバーサイドチャペルの早朝礼拝に参加させていただきました。

草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルの早朝礼拝

草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルは、東京スカイツリーライン 松原団地駅より徒歩5-10分ほどのところにある教会です。

早朝礼拝は毎週日曜日 7時から8時頃まで行われている礼拝です。

詳しくは下記教会HPをご確認いただければと思います。

=== リバーサイドチャペル 草加神召キリスト教会 ===

この日のメッセージ

この日読んだ聖書のみことばは、詩篇5篇。
メインは3節です。

主よ。朝明けに、私の声を聞いてください。
朝明けに、私はあなたのために備えをし、
見張りをいたします。
(詩篇5編3節)

早朝の祈りについてのお話でした。

お話は元女子プロの里美和先生がして下さいました。

ダビデは朝から叫んで祈った!

この詩篇5篇の著者はダビデ。

サウル王に追われている時に
書いたものと思われます。

5節には「朝明けに」という言葉が2回も
出てくるので、

早朝のお祈りであった事が分かりますね。

さらに前の1節、2節までさかのぼると、
「私の叫びを〜」とか「うめきを〜」
とあるので、

朝から物凄く叫んで祈っていることが分かります。

狙われているのに叫んだら見つかってしまうので、
冷静に考えたら、心の叫びの比喩表現かもしれません。

でも、ダビデは何も悪いことをしていないのに
命を狙われているのだから、

朝から物凄い心の叫びを持って祈っていても
不思議はありません。

「備えをし、見張りをいたします」

この3節の祈りの中で気になるのは
「備えをし、見張りをいたします」
という言葉。

備えは何となく分かりますが、
見張りをする意味が分からないですよね。

神様は見張っていないと殺されてしまうような
方ではないですからね。

「備え」は文字通り心の準備、
あるいは「犠牲を払う」という意味で、

「見張り」は、祈りの応答を待つことを
意味しています。

「ちゃんと心の準備をして、
応答を待っています」

と言い換える事が出来るかと思います。

祈りは神様との対話

祈りは神様との対話です。

でも、神様は目に見えないお方なので、
応答は聖書のみことばを通してなされます。

祈ったとき、ふっと急にみことばが降って湧いたら、
それが神様からの応答であると考える事が出来ます。

みことばが与えられないときは、
「待ちなさい」という回答なのかもしれません。

そういうときは、勝手に動くのは控えて、
みことばが与えられるのを待った方が
いいと思います。

自分の願いだけ一方的に神様に話して、
神様の声を聞かずに勝手に動いてしまっている
人はいないでしょうか?

対話なので、どちらかが一方的に話して
終わってはいけません。

一方的に要求だけ話して去っていく人は
嫌ですよね。

それは神様も同じです。

自己中な祈りではなく、謙遜な祈りを

続く5節には、このように書かれています。

誇り高ぶる者たちは
御目の前に立つことはできません。
あなたは不法を行なうすべての者を憎まれます。
(詩篇5篇5節)

「誇り高ぶる人」は
「高慢な人」「自己中な人」と
言い換える事が出来ます。

みんな高慢な人や自己中な人は嫌ですよね。
高慢な人も、自分以外の高慢な人は嫌いです(笑)
神様も高慢な人は嫌いです。

あなたは「神様、こうして下さい」と
初めから結論を指定して祈っては
いないでしょうか?

それは自己中な祈りであると言えます。

「神様、どう思いますか?」
「神様、どうしたらいいですか?」

と、神様に伺いを立てることが、
謙遜な祈りであると言えます。

高慢な人が嫌いな神様は、
自己中な祈りも好まれません。

神様は謙遜な祈りを喜ばれ、
そのような祈りをする人に
恵みを与えて下さいます。

主を恐れ、信頼する祈りが喜ばれる

神様は神様を恐れ、
信頼して祈る祈りを喜ばれます。

「恐れる」と言われると、
世間一般の印象では、怖がるという意味に
なるかと思いますが、

聖書で言うところの「神を恐れる」は、
少し意味が違います。

神様は全知全能の力を持った方、
何でもお出来になるお方であることを
知ることを「主を恐れる」と表現します。

主を恐れることは、知識の始まりであるとも
言われます。

神様は何でも出来る凄い方、
その神様が私たちを愛して下さっている。

そのことを分かった上で、
神様が最善の答えを下さると信じ、
期待して祈ることが、

「主を恐れ、信頼する祈り」であると
言えると思います。

犠牲を払った祈りが喜ばれる

そして神様は、犠牲を払った祈りを
喜ばれます。

犠牲を献げなさい、ということに関しては、
私もちょっと受け入れきれていないので、
ここから先はお話の本来の趣旨とは
ズレるかもしれないことをお許し下さい。

断食の祈り、早朝の祈り、徹夜の祈り、
何か好きなものを断っての祈りほど聞かれる、
と言われると、

神様は何か対価を払わないと祈りを聞いて
くれないようなケチなお方なのか、
と、疑問に感じる節もあります。

(この辺りは宗派や会派、教会によって
考え方の分かれるところかもしれません)

ただ少なくとも、朝の寝ていたい時間、
忙しい早朝の時間を献げて祈ることは、
犠牲を払った祈りであると言えるようです。

祈るための時間をしっかり持つこと。

時間を献げることが、
もっとも基本的な部分なのではないかと
思いました。

以上、ペパーミントあいがお届けいたしました。

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