[ai] 黙示録セミナー④ 反キリストについて の続きです。
2016年9月4日に受けた黙示録セミナーの内容を、
6回に分けてお送りしております。
その5回目です。
携挙(けいきょ)について
終末を語るキーワードとなる携挙。
イエス・キリストが再臨される前に、
クリスチャンは一足先に、
天に引き上げられます。
これが携挙です。
携挙が起こると、
まず、死んだクリスチャンが復活し、
次に、
生きているクリスチャンが引き上げられて、
復活の体に変わるとされています。
16 すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、17 それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。
(テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 4章16-17節)
50 兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。51 わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。52 最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。53 この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものは死なないものを必ず着ることになります。54 この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。
「死は勝利にのみ込まれた。
55 死よ、お前の勝利はどこにあるのか。
死よ、お前のとげはどこにあるのか」
(コリントの信徒への手紙Ⅰ 15章50-55節)
この時、イエス様ご自身が天から降って
来られるようなので、
これを「初臨」と呼びます。
「再臨」の前段階として
「初臨」があるんですね。
携挙の時期
携挙の時期については、
専門家のあいだでも
様々な説があるようです。
大艱難時代前説
これが一番本命っぽいです。
このセミナーの講師をして下さった
野口友代先生も、
大艱難時代前と考えておられました。
根拠は以下の御言葉(みことば)。
その日、その時は、誰も知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。
(マタイによる福音書24章36節)
この御言葉に則れば、
少なくとも再臨と同時なら、
反キリストやサタンには時期が
分かっちゃいますよね。
父なる神様以外誰も知らない、
という条件と合わなくなります。
それともう一つ。
37 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。38 洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。39 そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。
(マタイによる福音書24章37-39節)
ここには、
ふつうに平和に生活している時に来る、
と書かれいます。
でも大艱難時代、特に後期は、
絶対平和ではありません。
他に、大艱難時代にほとんどのクリスチャンは
殉教してしまうので、引き上げて救う意味がない、
という理由も考えられています。
私の願望としても、これに一票!
大艱難時代、
死んでも経験したくない>_<
(あ、死んじゃうのか……)
大艱難時代後期説
大艱難時代前説の次に有力なようです。
イエス様が2回来られるのは不自然、
大艱難で聖徒が清められる目的がある、
ノアの箱船のように守られるはず、
といった理由から、
このように考えている人たちも
いるみたいです。
こちらも根拠となる御言葉はあるようなのですが、
時間の関係上と、先生ご自身が支持されていないため、
詳しく聞くことは出来ませんでした。
大艱難時代中期説
こちらは少数派で、
あまり有力ではないようです。
中期も後期同様、
平和ではないですもんね>_<
でも、神様に御心って案外、
人の少数派の方にあることもありそうなので、
分かりません。
いつも目を覚ましていなさい
でも、いずれにしても、
さきほど引用したマタイ24章36節で
言われている通り、
携挙の時期は父なる神様以外、
誰にも分かりません。
子なる神のイエス様も知らないと
言っておられます。
だから、いつ来られてもいいように
目を覚ましていないといけません。
34 「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。35 その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。36 しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。
(ルカによる福音書21章34-36節)
「起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて」とありますね。
こう言われと、
大艱難の前なんじゃないかという
気がしてきます(^_^;)
「放縦や深酒や生活の煩い」
というのも、完全に油断しきった
平和な状態を思わされますね。
ただ何にせよ、
いつイエス様が来られてもいいように、
しっかり準備して待っていましょうね、
神様から離れないようにしましょうね、
ということを語られているので、
いつも目を覚まして祈っていたいものです。
間違っても、
嫌いなムカつく人のことを思い出して
心が憎しみでいっぱいになっている時に
来られて、
置いていかれてしまう、
なんてことのないように。。。
[ai] 黙示録セミナー⑥ キリスト再臨の鍵を握るイスラエル に続きます。