こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日は士師記17章を読みました。
概要は、下記記事をご参照のこと。
そのころイスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた。(士師記17章6節)
この章には、
士師時代のイスラエルの実態が
描かれています。
本章に登場するミカという男は、
母親も含めて、完全な混合信仰の持ち主。
真の神様と偶像を一緒に並べて礼拝する
自分用の神殿を持っています。
でも本人たちには、
それがモーセの十戒に違反する、
神様に忌み嫌われる行為である
自覚すらありません。
自分たちの行為に、
少しの違和感も覚えていないのです。
罪に対して無自覚になってしまうって、
恐ろしいです>_<
でも、上記に引用した御言葉は、
色々と考えさせられます。
「人それぞれ、色々な考え方があるのだから」
という、
世間一般には民主的で良しとされている一般論も、
度を越せばこれに当てはまるのではないでしょうか?
「人それぞれ色々な考え方があるのだから、
多様性を認めましょう」
それは間違いではないです。
でも、それが絶対的に正しいかと言われたら、
そうは思えません。
「人それぞれ色々な考え方があるのだから、
人を殺すことを良しとする価値観も認めましょう」
「人それぞれ色々な考え方があるのだから、
特定の民族を中傷することは差別ではない」
「人それぞれ色々な考え方があるのだから、
靖国神社への参拝と神様への礼拝を並行する
ことも一つの信仰の形である」
こんなことが容認されてしまうようになったら、
まさに士師時代のイスラエルと変わらないですね。
時代がどんなに移り変わっても、
絶対的に変わらない真理はあると、
わたしは思います。
聖書の教える神様の御言葉は、
不変です。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました。