こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
2016年8月14日 草加神召教会リバーサイドチャペルのメイン礼拝に参加させていただきました。
草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルのメイン礼拝
草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルは、東京スカイツリーライン 松原団地駅より徒歩5-10分ほどのところにある教会です。
メイン礼拝は毎週日曜日 11時から13時頃まで行われているメインの礼拝です。
詳しくは下記教会HPをご確認いただければと思います。
この日のメッセンジャー
この日は中央聖書神学校校長の北野耕一先生がお話して下さいました。
北野先生は大阪府生まれ。フィリピン、シンガポールなどの神学校の校長を歴任後、1991年に帰国。母国で教鞭を執るようになり、現在は中央聖書神学校の校長を務めておられます。
この日は平和記念礼拝
この日は8月14日。翌日が終戦記念日であるということで、平和に関するお話でした。
読んだ聖書の箇所は、以下の箇所です。
平和を実現する人々は、幸いである。
その人たちは神の子と呼ばれる。
(マタイによる福音書5章9節)
大きな平和は小さな平和の積み重ねで実現する
大きな平和は、小さな平和の積み重ねで実現します。
「戦争反対!」と叫んだところで、いきなり世界を平和にすることは出来ません。
小さな目標を一つずつクリアしていくことで大きな夢が実現出来るように、平和という夢も、小さな平和の実現を積み重ねなければ、大きな平和を実現することは出来ないのです。
積極的平和と消極的平和
では、そもそも「平和」とは、何でしょうか?
ヨハン・ガルトゥングという人は著書「平和学」で、次のように述べています。
- 積極的平和……武力衝突、戦争のない状態。原因になりうるものもない状態。
- 消極的平和……武力紛争はないが、原因(深刻な貧困、差別、人種問題、宗教差別)は満ち溢れている状態
この平和学の理論に則って考えれば、現在の日本は、消極的平和な状態と言えると思います。
積極的平和を実現出来ている国は、まずないのではと考えられます。
これら戦争の火種となるものは、全て、私たちのうちの罪の性質によって起こることです。
戦争の火種は、心の中で誰かに拳を振り上げている自分
「戦争反対!」と叫ぶことも「差別反対!」と叫ぶことも簡単です。
でも、こう訴えている人たちも、自身の心のうちの戦争の火種となる性質には気付いていません。
この人たちもまた、戦争をしたがる人たち、差別したがる人たちに対して、拳を振り上げています。
私たちの心の中にある、誰かを攻撃してやろうという気持ちが、戦争の火種である貧困や差別を生み、戦争に繋がっていることに気付かなくてはいけません。
平和を実現するのは、憲法ではなく、私たち一人一人
日本国憲法の第9条は、戦争の完全放棄を謳った素晴らしいものです。その他にも、日本国憲法には恒久平和の実現を謳った素晴らしい文言がたくさんあります。
でも、日本国憲法がこの国に平和を運んでくれるわけではありません。
私たち一人一人が、ここに書いてあることを守らなければ、平和は実現しないのです。
日本国憲法は理想論ではない!
日本国憲法は理想論だと言う人がいます。
でも、はたしてそうでしょうか?
イエス様は「平和を実現する人々は幸いである」と言われました。
イエス様が、出来もしないことを私たちにやれと言われるでしょうか?
出来ることだからやれと命じられていると、私は思います。
そしてそれは、すでにイエス様が十字架の上で手本として見せて下さっているのです。
イエス様は敵を赦して十字架で死なれた
旧約聖書のイザヤ書に、キリストに対するこんな記述があります。
ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。
その名は「驚くべき指導者、力ある神
永遠の父、平和の君」と唱えられる。
(イザヤ9章5節)
その平和の君であるイエス・キリストは、十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください」と言って息を引き取られました。
そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているか知らないのです」
(ルカによる福音書23章34節)
自分を嘲った人たちと争わず、自分を十字架につけた人たちを呪わず、その人たちのために父なる神様に祈って死んでゆかれました。
まさに「平和の君」として死んでゆかれたのです。
真の平和は、神との和解が成立して初めて実現する
平和を実現したければ、この平和の君の心、赦す心を持たなければいけません。
それは拳を上げる心とは真逆のもの。自分の力で実現することは出来ません。
平和の君であるイエス・キリストを受け入れ、父なる神様の赦しを得て、罪を取り除いていただかなければ出来ないのです。
戦争の火種である罪は、イエス・キリストの十字架の贖いによって清めていただく以外に、取り除く方法はありません。
罪を持ったまま平和を実現することは、出来ないのです。
平和のスタートラインは、小さな「ごめんなさい」から
心から謝って赦してもらう、というプロセスを経なければ、和解はありえません。
和解のないところに平和はありえません。
誰かに対して腹が立って、拳を振り上げたくなった時には、どうかイエス様の十字架上での言葉を思い出して下さい。
そしてその思いを十字架のイエス様のところへ持って行って、清めてもらって下さい。
こうして一つ一つのモヤモヤ、小さな戦争の火種を消していくことが、大きな平和に繋がります。
地道な努力かもしれません。
でも、小さなベツレヘムにひっそりと生まれたイエス様の教えが世界中に広まったように、小さな「ごめんなさい」が小さな平和を生み、やがて大きな平和に広がっていきます。
どうか平和を作る人となって下さい。
平和を作る人々が、世界中に広まりますように。。。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました。