こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日は士師記2章を読みました。
士師記2章
[ai] 士師記1章 カナンの征服 の続きです。
本章には
- カナンの征服(1章続き、1-5節)
- 主に背く世代が興る(6-23節、3章へ続く)
※サブタイトルは新共同訳聖書より
について書かれていました。
以下は、受洗1年9ヶ月目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には注釈、解説書、教会で得た知識等を総動員させていただいておりますが、聖書について詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
カナンの征服(1章続き、1-5節)
神様の御使い(みつかい)がイスラエルの民の元にやってきて言いました。
「わたしはあなたたちに、この地の住民と契約を結んではならない、住民たちの祭壇を取り壊すように命じたのに、あなたたちは聞き従わなかった。なぜこのようなことをしたのか。わたしもこう言わざるをえない。彼らを追い払って、あなたたちの前から去らせることはしない。彼らはあなたたちと隣り合わせとなり、彼らの神々はあなたたちの罠となろう」
これを聞いた民は声をあげて泣き、その場所をボキム(泣く者)と呼びました。
そして、この場所で神様に生贄を献げます。
主に背く世代が興る(6-23節、3章へ続く)
この段落は、士師記の要約のようです。
ヨシュアが死に、ヨシュアに従った長老たちも亡くなると、出エジプトからカナン入国までに神様がなさった奇跡を知らない世代が出てきました。
彼らはすっかりカナン人たちの偶像崇拝の習慣に染まり、神様に従わず、バアルやアシュトレトなどの偶像を拝むようになりました。
これを見た神様は怒り、イスラエルを敵の手に渡され、災いを与えます。
イスラエルが苦しむと、神様は士師(=さばきつかさ)を立ててイスラエルを救いますが、士師が死ぬと、イスラエルは前よりも酷く堕落します。
そうなったらまた災いが起こり、その度の士師が立てられ、士師が生きている間は神様に従うけれど、死んだらまた堕落する。
そんな歴史を繰り返すのが、この士師記のようです。
感想
士師が生きている間は神様に従うけれど、死んだらまた堕落する。
これって、結局民は、神様ではなく、士師についていただけなんじゃないかな?と思いました。
強いリーダーがしっかり神様の方へ導いてくれたから良かった、とも取れますが……「あの士師の○○さんが神様に従えと言っているから従おう」という気持ちだったという感じが否めません。
もしそうなら、本当の意味で神様に従っているとは言えないですよねm(_ _)m
現代の私たちに当てはめれば、神様につくか牧師につくか、という話だと思います。
牧師が気に入らないから、もう教会へ行くのも神様を信じるのもやーめた、というようでは、本当の意味で神様を信じていたとは言えません。
逆に牧師を神様と混同して崇めたてすぎることも、偶像崇拝であると言えます。
前者は信仰が未熟なだけと言えますが、後者は、正直前者よりタチが悪いように思えます。。。
牧師が人間的に素晴らしく、リーダーシップもあるほど陥りがちな罠と言えるので……
参考文献
以下の解説書を参考にさせていただきました。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!
次回は [ai] 士師記3章 主に背く世代が起こる〜シャムガル についてお届けいたします。
お楽しみに!