こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
2016年8月の全ての日曜礼拝が終わりました。
8月に聞いた全ての礼拝メッセージから学んだことを綴りたいと思います。
北野先生のメッセージに感銘を受けたのに、すっかり忘れていた!
私がこの月、特に感銘を受けたのは、
第2週に聞いた北野耕一先生のお話でした。
「戦争反対と叫ぶ前に、小さな「ごめんなさい」からスタートしよう!」
素晴らしいですよね。
でも、人間忘れやすい生き物で、
私はこのメッセージに激しく感銘を
受けたのにもかかわらず、
3週間もしたらすっかり忘れてしまいましたm(_ _)m
決して記憶から消えたわけではないのですが、
その時に感じた主の臨在の記憶や、
愛に満たされて、
相手を赦したいと心から思えた気持ちが、
消えてしまっていたんですね(-_-)
気がついらた私の心は、
関係の悪い相手を攻撃したい、裁きたい、
復讐してやりたいという気持ちで
いっぱいになっていました。
自分に自信がないから腹が立っていることに気付いた
下記、鹿島アントラーズのカイオ選手のお話で、
神様を愛している人は自分を愛することが出来、
自分を愛することの出来る人は
隣人を愛することも出来ることを学びました。
この記事で私は、偉そうに
「自分を愛せていない人は神様の
無条件で無限大の愛を受け取って下さい」
とか、立派なことを言っています。
でも、それがもっとも必要なのは、
私自身であると、8月の一連の記事を振り返って
気付かされました。
私は自分に自信がないから、
自分の考えを否定してくる相手に腹が立ち、
相手が否定しているつもりはなくても
否定されたような気がして腹が立ってしまって
いたのですm(_ _)m
自分を愛することが出来ていない、
神様の愛が見えなくなっていたことに
気付きました。。。
同時に、自分を愛せる人は隣人も愛せることも本当だと学んだ
同時に、主の愛に満たされている人は、
自分も他人も愛することが出来ることも、
身をもって学びました。
少なくとも北野先生のお話を聞いた直後は、
主の臨在を感じ、主の愛に満たされ、
相手を赦したい、和解したいと思えていましたから。
自分を愛することが出来る人は
隣人を愛することが出来るというのは、
本当でした。
主の愛をもって周りを愛したい
主の愛をもって周りの人たちを愛したいと、
今は心から思います。
関係の悪くなっているその人達とも、
和解したいと心から思います。
この気持ちが小さな「ごめんなさい」に、
小さな赦し、和解、平和に繋がっていくものと
信じています。
そのことの気付かせ下さった主に感謝いたします。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました。