こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
2016年8月7日 草加神召教会リバーサイドチャペルのメイン礼拝に参加させていただきました。
草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルのメイン礼拝
草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルは、東京スカイツリーライン 松原団地駅より徒歩5-10分ほどのところにある教会です。
メイン礼拝は毎週日曜日 11時から13時頃まで行われているメインの礼拝です。
詳しくは下記教会HPをご確認いただければと思います。
この日のメッセンジャー
この日は姫路キリスト教会主任牧師 生武嗣幸先生がいらして、お話しして下さいました。
アッセンブリー協会のホープと言われている若い先生で、とても人気のある方なのだそうです。
明るく、楽しいお話をされる方でした^ ^
生武先生の詳細につきましては、下記スクショをご参照のこと。
レプタを献げたやもめの話
この日のお話は、有名なレプタ銅貨を献げたやもめのお話。
このお話を通して、神様に全幅の信頼を寄せることと、献げた者だけが味わえる世界があることを学びました。
読んだ聖書の箇所は、ルカの福音書20章1-4節です。
1 さてイエスが、目を上げてご覧になると、金持ちたちが献金箱に献金を投げ入れていた。
2 また、ある貧しいやもめが、そこにレプタ銅貨二つを投げ入れているのをご覧になった。
3 そこでイエスは言われた。「わたしは真実をあなたがたに告げます。この貧しいやもめは、どの人よりたくさん投げ入れました。
4 みなは、あり余る中から献金を投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、持っていた生活費の全部を投げ入れたからです」
(ルカの福音書21章1-4節)
イエス様がやもめを高く評価されたのは、全財産を献げたからではない!
イエス様がこのやもめを高く評価されたのは、単に全財産を献げたからではありません。
神様を心から信頼して、持っている全てのものをゆだねたからです。
全財産を献げることは大変なことですが、脅されて強制されたような気持ちで献げたのと、心から信頼して献げたのとでは、全く意味が違います。
もしこのやもめを例に出して、全財産献金するよう迫ってくる指導者がいたら、疑ってかかっていいと思います。
心からの信頼は、脅されて生まれるものではありません。
神様は金額ではなく、献げた人の心を見ておられる
イエス様は、献金の金額ではなく、献げた人の心を見ておられます。
やもめが献げたレプタ銅貨2枚分は、現代の通貨に換算したら、100円くらい。
当時は小麦粉一掴みくらいしか買えない金額でした。
でも、金持ちたちはあり余る中から一部を献げましたが、やもめは貧しい中から、全財産を献げました。
どちらが神様を信頼しているかは、一目瞭然だと思います。
信頼して従えば、神様は応えて下さる
このやもめの行動は、旧約聖書で預言者エリヤを助けたやもめの行動と似ているところがあります。
エリヤを助けたやもめもとても貧しくて、最後の小麦粉と油でパン菓子作って食べたら、あとは息子と二人、飢えて死ぬのを待つしかない状態でした。
でも、預言者エリヤに「先に私にパン菓子を作ってくれ」と言われ、その通りにすると、油も小麦粉も尽きることなく、やもめも息子も生き延びることが出来ました。
エリヤもまた、神様を信頼していたから、こんな状況のやもめに向かって「先に私にパン菓子を作ってくれ」と言えました。
エリヤにとってこれは、「お前から最後の小麦粉と油を搾取してやる」という意味ではなく「神様に言われたことを実行させてくれ」という意味だったのです。
レプタを献げたやもめがこの故事を知っていたかは、分かりません。
でも、本質は同じであると思います。
献げた者だけが味わえる喜びを味わおう
献げたあとに神様が応えて下さる喜びは、献げた人間にしか分かりません。
ある少年が、教会のメッセージにとても感動し、神様に心から献げたいと思って、その時持っていた500円玉を献金しようとしました。
でも、いざ目の前に献金袋が回ってくると、500円玉が惜しくなり、引っ込めて50円玉を献金。
その後、彼はそのことにとても罪悪感を覚え、「心から献げたいと思ったはずなのに、なぜ引っ込めてしまったんだ。神様、ケチでごめんなさい」と神様に謝ったそうです。
翌週の日曜日、彼は500円玉を献金しました。
勇気を出して500円玉を献げた彼に、エリヤを養ったやもめのような特別ドラマティックな出来事は起こらなかったそうです。
でも彼は、自分はケチでなくなったこと、お金がもったいないと思う気持ちが取り除かれたことをとても喜んでいました。
神様はこの少年に、神様が彼を養っているのだという喜びを与えてくれたんですね^ ^
50円だって立派な献金です。50円を献げた人には、50円を献げただけの豊かさが味わえます。
500円を献げた人には、500円を献げただけの豊かさが訪れます。
そしてそれは、金額に比例するものではありません。
献げた人の心に比例します。
感想
レプタを献げたやもめの話。
正直、神様を信頼しているなら全財産献げろ、それが出来ない奴は神様を信じていないダメな奴
だ、という圧力を感じ、とても苦手でしたm(_ _)m
(実際に全財産献金している人なんて牧師にだっていないし、強制されたことなんてないのですが;;)
でも、「神様は心を見ておられる」という言葉に、覆いが取り除かれたような気がします!
「本当は献金なんてもったいないからしたくないけど、しないと神様に罰せられるから……」という気持ちで仕方なくするのではなく、心から神様を信頼し、また与えられた幸せを感謝してお返しする心で献げられるようになりたいです!
また、今もそういう気持ちで仕方なく献金している人がいるなら、その覆いが取り除かれるようお祈りしています。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました。