こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日はヨシュア記20章を読みました。
ヨシュア記20章
[ai] ヨシュア記19章 シメオン族〜相続地の配分を終わる の続きです。
本章には
- 逃れの町(1-9節)
※サブタイトルは新共同訳聖書より
について書かれていました。
以下は、受洗1年9ヶ月目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には注釈、解説書、教会で得た知識等を総動員させていただいておりますが、聖書について詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
逃れの町(1-9節)
[ai] 申命記19章 逃れの町〜裁判の証人や[ai] 民数記35章 レビ人の町〜逃れの町に登場した「逃れの町」が、実際に作られました。
逃れの町は、誤って人を殺してしまった人が、親族の復讐から逃れるために逃げる町。
イスラエル人に限らず、寄留する異国人も逃れることが出来ます。
人を殺した者が裁判を待つ間と、裁判で故意ではないと判断されたあと、住むことが出来ます。
(故意による殺人とされた場合は、死刑です)
故意ではなかった場合、その時の大祭司が死ぬまでは逃れの町に留まらなければいけません。死んだら、元いた住んでいたところに帰ることが出来ます。
大祭司が生きている間に逃れの町を出たら、親族の復讐にあっても自己責任となります。
逃れの町は、
ナフタリの山地のガリラヤのケデシュ、
エフライムの山地シケム、
ユダの山地キルヤト・アルバ(ヘブロン)、
ルベン領の荒野ベツェル、
ガド領のラモト、
マナセ領のバシャンのゴラン
に作られました。
感想
殺人を犯した者は法の下で裁かれ、故意でない場合は復讐の連鎖を断ち切るため、逃れの町へ逃げることが出来る。
とても理に叶ったことだと思います。
いや、義に叶った、といった方がいいのか?
寄留する外国人に対しても、同様に適応されるのがいいですね。
最近の世論や世界各地の政治情勢を見ると、ヘイトスピーチが溢れ、外国人排斥の論調が強まっているように思えます。
特にキリスト教国を自認している国の方々は、この旧約聖書の時代から、外国人も自国民と等しく扱うことが教えられてきたことを、思い出してほしいですね。
参考文献
以下の解説書を参考にさせていただきました。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!
次回は [ai] ヨシュア記21章 レビ人の町 についてお届けいたします。
お楽しみに!