こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
2016年7月31日 草加神召教会リバーサイドチャペルのメイン礼拝に参加させていただきました。
[ai] 初めの愛〜あなたは燃えていますか?〜に続く2本目の記事です。
草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルのメイン礼拝
草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルは、東京スカイツリーライン 松原団地駅より徒歩5-10分ほどのところにある教会です。
メイン礼拝は毎週日曜日 11時から13時頃まで行われているメインの礼拝です。
詳しくは下記教会HPをご確認いただければと思います。
もう一つ学んだこと
この日のメッセージのメインテーマは「初めの愛」。
その内容については、下記記事にて詳しく書かせていただいております。
このメッセージの中で、もう一つ学んだことがあったので、それについて語らせていただきたいと思います。
「律法は養育係」の意味が、ようやく分かった
上記のメッセージを通して「律法は養育係」の意味がようやく理解出来ました!
新約聖書には「律法は私たちを福音へ導くための養育係」とあります。
その意味が、今まで何となく理解していたのですが、実はいまいちよく分からずにいました。
でも、ようやくしっくりくる説明を得ることが出来ました!
律法は地上で生きるための道標となる
モーセの律法は、天国に行ってからは不要なものです。
その時にはみんな、完全に罪から解放されて、心から神様に仕えることが出来るからです。
でも、惑わすものの多いこの地上においては、神様を見失わないために必要なものだったんですね!
「ねばならない」に従うことで、神様に近づくことが出来る
旧約聖書に出てくるモーセの律法は「〜ねばならない」という記述が多いです。
その代わり、どうすればいいのかはとても具体的に書かれています。
それに対して新約聖書のイエス・キリストの教えは、「〜ねばならない」ではありません。
率先して愛を実行しましょうとか、律法や儀式を守ることより心持ちが大事だよという内容のことが多いです。
ただ、精神論的なことが多く、ちょっと哲学的。
モーセの律法は多岐に渡って具体的である分、ある意味では親切と言えるかもしれません。
「〜ねばならない」ばかりだと正直しんどいですが、罪や欲や惑わしの多いこの世で生きる上では、これを道標として生きないことには、惑わされて欲に飲みこまれてしまうんだなと思いました。
罪や欲に飲み込まれないために自分を律するためのものだから「律法」なんですね。
罪人の自分を律することで、神様に近付き、日々肉に死んでいくことが出来るのかもしれません。
だから「養育係」なんでしょうね。
理想は心から喜んで実行出来るようになること
自分を律するための律法ですが、理想は、仕方なくではなく、心から喜んで出来るようになることです。
モーセの書に書いてある内容って、時代を感じる内容も多いけど、大筋はごく一般レベルの良識なんじゃないかと思えることが多いです。
イエス・キリストの山上の説教を実践するより楽なのではと思います。
少なくとも私は、先に新約を読んでから旧約聖書を読みましたが、そのように感じました。
新約聖書では、何かと律法を傘にきて人を陥れようとする輩が多いもので、ちょっと印象の悪くなっている律法ですが、本当はとてもいいもの。
この世の生涯を終えるまでは、しっかりと噛み締めて生きていきたいです。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました。