[ai] 聖餐式を機に、罪について学び直した | ペパーミントパラダイス

[ai] 聖餐式を機に、罪について学び直した

こんにちは^ ^

ペパーミントあいです。

2016年7月17日 草加神召教会リバーサイドチャペルの早朝礼拝に参加させていただきました。

草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルの早朝礼拝

草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルは、東京スカイツリーライン 松原団地駅より徒歩5-10分ほどのところにある教会です。

早朝礼拝は毎週日曜日 7時から8時頃まで行われている礼拝です。

詳しくは下記教会HPをご確認いただければと思います。

=== リバーサイドチャペル 草加神召キリスト教会 ===

この日は聖餐式

この日は月に一度の聖餐式でした。

聖餐式は、キリストの肉に見立てたパンと、キリストの血に見立てたぶどう酒(ぶどうジュース)を取ることで、キリストの十字架の贖いを受け取る儀式。

最後の晩餐に、イエス・キリストが弟子たちにパンとぶどう酒を与えたことから由来しています。

私たちの罪は、イエス・キリストの十字架の贖いによって赦されました。

でも、罪人であることには違いありません。

そのことを忘れないための儀式であると思います。

この日の早朝礼拝では、罪とは何かということを、改めて学び直しました。

罪の中心は怒り

「罪」は、原語の聖書では「自己中心」を意味する言葉で記されているそうです。

つまり、罪=自己中心。

自己中心の代表格は、「怒り」なのではないでしょうか?

社会の悪に対する怒り。
自分の価値観が否定される。
自分の考えが否定される。
思い通りにことが進まない。

これらが大きくなることで、殺人などの大きな罪へ発展していきます。

多くの人は、ここまで酷くなる前に思いとどまることが出来るでしょう。

でも、発展して犯罪者となってしまった人も、元をたどれば、このような小さな怒りの積み重ねだったのではないでしょうか?

なので、どんな小さな罪も見逃すことは出来ません。

私たちは赦されているけれど、罪人なのです。

このことを忘れては、大変なことになります。

でも、間違いに気付かせて下さるのは、聖霊であり、聖書の御言葉(みことば)です。

御言葉と聖霊が与えられていることに、ただただ感謝するばかりです。

この日読んだ御言葉は、以下の箇所です。

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
(ヨハネの福音書15章5節)

以上、ペパーミントあいがお届けいたしました。

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