[ai] 聖書は神様が天地を創造し、新しい天地を創造するまでの物語で、私たちは物語の登場人物 | ペパーミントパラダイス

[ai] 聖書は神様が天地を創造し、新しい天地を創造するまでの物語で、私たちは物語の登場人物

こんにちは^ ^

ペパーミントあいです。

2016年2月7日 草加神召教会リバーサイドチャペルのマイティーサービスに参加させていただきました。

草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルのマイティーサービス

草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルは、東京スカイツリーライン 松原団地駅より徒歩5-10分ほどのところにある教会です。

マイティーサービスは毎週日曜日 17時半から行われている夕方の礼拝です。

詳しくは下記教会HPをご確認いただければと思います。

=== リバーサイドチャペル 草加神召キリスト教会 ===

また、マイティーサービスのブログもございます。ご興味のある方は、こちらもご覧くださいませ^ ^

Mighty Service

この日のメッセンジャー

メイン礼拝同様、新城協会の滝元順先生がお話して下さいました。

参照 : [ai] 最も強い悪魔は経済界に潜んでいる!お金が人を支配する、本当の仕組みを理解することが大事

聖書は神様が天地を創造し、新しい天地を創造するまでの物語で、私たちは物語の登場人物

聖書の初め、創世記の1章1節と、聖書の終わり、ヨハネの黙示録の最後の章を読むと、聖書は神様が天地を創造し、再び新しい天地を創造するまでの物語であることが分かります。

聖書の登場人物がそうであったように、私たちは皆、この神様の壮大な物語の登場人物。

皆、その人にしか出来ない役を与えられています。

滝元順先生のご両親に起きた出来事を通して、神様からの与えられている役割について学びました。

ご両親は戦後間もなく、東京でクリスチャンになる

滝元順先生のお父様は、昨年召された、有名な滝元明先生です。

先生のご両親は戦後間もなく、東京でクリスチャンになられました。

東京に来られた宣教師夫妻の伝道により、導かれたそうです。

先にクリスチャンになったのはお母様。

ある時、その宣教師夫人が「あ、あの場所よ!」とお母様を連れて行った場所がありました。

そこは西武池袋線沿線の牧場のような場所。

宣教師夫人は日系人なので、以前から日本のために祈っていたそうです。

すると神様から「やがて日本は戦争に負ける。そうしたらあなたたちを日本に派遣する。日本に行ったらこの場所をあげよう」と言われました。

その時に見た幻と、そっくりな場所だったのです!

宣教師夫人は、お母様と無断でその場所に住み始めました。

夫の宣教師は、さすがについていけず、住まなかったそうです。

そして、本当にその土地を手に入れる

でも不思議なことに、誰にも文句は言われませんでした。

そこで伝道のための集会を始めたら、人がいっぱい集まりました。

でもさすがに、いつまでも何も起きないはずもなく、所有者がやってきて怒られます。

それでも宣教師夫人は「神様からもらった場所よ!」と、所有者に対して強気に出ました。

すると、所有者は人が集まったことに感動し、その土地をただで譲ってくれた。
(ただで譲ってくれた理由は、後ほど説明)

正式に土地を手に入れると、そこに教会を建てました。

父との出会い

その教会の近所の長屋に、ある男が住んでいました。

男は初め「教会なんかアメリカの占領政策も一つなんだから行くものか」と言っていましたが、本当は教会がどんなところなのか、気になって仕方がありませんでした。

気になってその場所に行って見ていると、宣教師夫人に見つかり、強く伝道され、その迫力に押されて信じてしまいました。

それが父の明先生です。

やがて、お母様と結婚します。

土地の所有者は、韓国のパクさん

その土地をくれたのは、韓国人のパクさんという方でした。

ただで譲ってくれたのは、単に人が集まったことに感動しただけではなく、日本と韓国の悲しい歴史が関わっていました。

終戦後、朝鮮の人たちは日本に取り残されました。

多くの人は故郷に帰りましたが、帰国するためには、日本で得た財産を放棄しなければなりませんでした。

パクさんは、土地を放棄して帰る決断をしていたそうです。

順先生は最近よく韓国で奉仕をするので、このパクさんにお礼が言いたいと思っているそうです。

でも、同名の人が多すぎて、手がかりがパクさんという名前だけでは、なかなか見つけられないとのこと。

この教会のあった場所は、今もCAJというキリスト教の施設として使われています。

宣教師夫人はこの土地を7週回って「ここは主のものだ!」と宣言して手に入れたそうです。

日本で最初にリバイバルが起こったのは、愛知県の津具村

日本で最初にリバイバルが起こったのは、愛知県の津具村。

父・明先生の生まれ故郷でした。

津具村出身の二人の若者が故郷へ帰る時、ジェームス・バラーという宣教師を連れて行って伝道したところ、村の半数の人がイエス様を信じたそうです。

村井よさきち(漢字が分かりませんm(_ _)m)という牧師の顕彰碑が、今も立っているそうです。

ちなみに、これを書いたのは、牧師であり社会運動家としても有名な賀川豊彦。

賀川豊彦は肺病で死にかかった時、その村井よさきち牧師を訪ねました。

そうしたら癒されて回復したそうです。

が、村井よさきち牧師は亡くなり、戦争が始まり、クリスチャンは迫害されたため、津具村のリバイバルの火は消えてしまいました。

その2年後に、父の明先生が生まれました。

こんな複雑なストーリーを書けるのは、神様だけだ

村井よさきち牧師の碑に、滝元家の名前はありません。

当時の滝元家は、キリスト教に対して反対派だったそうです。

でも、その滝元家から、明先生が生まれ、その息子さんたちも牧師として用いられるようになります。

ここに何か運命めいたものを、順先生は感じておられるようです。

こんな複雑なストーリーを書くことが出来るのは、神様だけだと、おっしゃいました。

父の死は、遠いネパールの地で看取った

父・明先生は、順先生がネパールを伝道旅行中に亡くなられたそうです。

山の中のホテルに一箇所だけwiFiがつながるところがあり、そこでFaceTimeを立ち上げ、看取ったとのこと。

順先生はお父様が亡くなる時も余裕はあったのか、真剣に見届けようとしている同行の人達の写真も撮っておられました。

ほとんど通信の繋がらない山の中で、一箇所だけWiFiの繋がる場所があったこと。

その場所を見つけ、FaceTimeを立ち上げて、病室と通信が繋がったのが、ちょうど亡くなる15分前であったこと。

これらの偶然を、一般の人は「お父さんが会いたいから待っててくれたんだよ」と言うかもしれません。

でも、待てるくらいなら死ぬわけないだろうと、順先生はおっしゃいました。

これは神様のタイミング以外の何物でもないと。

父が亡くなった時、御言葉が与えられた

お父様が亡くなられた時、神様から与えられた御言葉(みことば)があるそうです。

1 さて、主のしもべモーセが死んで後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げて仰せられた。
2「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。
3 あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。
4 あなたがたの領土は、この荒野とあのレバノンから、大河ユーフラテス、ヘテ人の全土および日の入るほうの大海に至るまでである。
5 あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。
(ヨシュア記1章1-5節)

モーセは約束のカナンの地目前で亡くなりました。

無念だったろうと思います。

でも、神様の計画は、モーセの次のヨシュアに引き継がれました。

神様の計画は世代を超えて受け継がれるものなのです。

父が亡くなり、自分たちの世代がやらなければならない働きがある。

そう確信されたそうです。

そのヒントが、天野先生に語られた預言的なこの言葉。

「わたしの夢を叶えてくれ」

聖書は神様が天地を創造し、新しい天地をもう一度創造するまでのストーリー

聖書はどのような書物なのか、研究がずっと続けられています。

最近になって、新しい読み方の視点が見つけられました。

今までは愛なら愛、義なら義について抽出して読む読み方をしていましたが、最近は、聖書は一冊が丸々の本ではないかという考えが出てきました。

本を読むのが上手い人は「はじめに」と「おわりに」を先に読むそうです。

結論が分かるから読みやすいのだとか。
(私はオチは最後まで知りたくないので、絶対に順番に読みますが……ここではその読み方がいいという前提で続けます)

聖書も同様です。

はじめに=創世記1章1「初めに、神が天と地を創造した」
おわりに=黙示録21章「また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない」(1節のみ引用)

神様が天と地を創造し、もう一度新しい天と地を創造して終わっています。

私たちは、神様の物語を演じる役者のようなものです。

象徴しているのは、出エジプト〜カナンの地に入るまでのストーリー。

みんな、自分しか演じることの出来ないシーンを必ず持っています。

神様は新しい世代を求めています。

自分の与えられた役割をしっかり演じる必要があります。

代替わりすると、状況は変わる

モーセが民を荒野に引き連れた40年間は、本当に大変でした。

でも順先生は、あまりそうは思っていらっしゃらないようです。

仕事をしなくても食べ物は降ってくるし、服も擦り切れないし、マナが飽きたと言えば肉もくれたので最高だったのではないか?とのこと(笑)

何より、神様が雲の柱と火の柱として一緒にいてくれました。

主がともにおられることを、目で確認出来たのです!

私たちはいくら「神様は目には見えなくても共におられる」と言われて、分かっていても、見えないと忘れたり不安になってしまいますからねm(_ _)m

はっきり目視で確認出来たらどんなにいいだろうとは、思います。
(それはそれで、慣れてしまったら結局見えないのと同じかもしれないですが;;)

でも、カナンに入った時、状況は変わりました。

荒野を通ってきた世代は、神様がどういう方か分かっています。

わかっているだけに、逆に、固定概念も生まれる。

しかし、世代が変わると、神様は雲の柱と火の柱ではなくなります。

神様は戦いの姿で現れました=カナンの地を奪還することが目的だったからです。

モーセからヨシュアの世代になると、礼拝の仕方も変わった

教会でも、幕が下りて新しい幕が上がることがあります。

その時、それまでの既成概念が通用しなくなります。

新城教会でも聖霊が降った次の日から、霊的戦いが始まりました。

礼拝も、今までの概念が変わりました。

荒野の世代は、幕屋で礼拝をしました。

奥は大祭司しか入れない、厳かな場所です。

(今、私がちょうど聖書通読している民数記も、幕屋での礼拝ですね。
参照 : 民数記 | ペパーミントパラダイス)

でもカナンに入ると、エリコを落とすための戦いを神様が命じます。

その戦い方は変わっていて、祭司たちを先頭にし、兵士たちが城壁の周りを回り、賛美をするというもの。

礼拝と戦いが一緒になった場面だと、注釈には書かれています。

私たちは、ヨシュアの世代を生きているのかもしれない

毎週集まって礼拝をすることも素晴らしいけれど、街に出て伝道することが新しい礼拝かもしれないと、順先生はおっしゃいました。

ヨシュアの世代は、霊的な戦いそのものが礼拝。

その後、カナンは奪還。イスラエル王国が出来ます。

神殿が出来て奉献式を行った時は、凄いことが起きたそうです!(私はまだその箇所を読んでいないので、何が起きたのかはわかりませんが;;)

この教会(リバーサイドチャペル)が、そうなるかもしれません。

私たちは、ヨシュアの時代を生きているのかもしれません。

神様は私たちに、外に出て礼拝し、敵を打ち破り、執りなして祈るように言われているのではと思う。

順先生は、そのように言われました。

クリスチャンになることは、神様のご計画の一部に参加すること

今、順先生の周辺で話題になっている本があるそうです。

タイトルは「クリスチャンとは」

この本の冒頭は「興味深い夢を見てひどく感銘を受けたが、忘れてしまった」というような内容の書き出しで始まっているそうです

最後には「洗礼を受けて教会に加わることは、神様の計画の一部に加わることだ」と結論付けているそうです。

明先生が亡くなった時、ある人は「どうしてあんなに祈ったのに明先生は亡くなったんだ?」と納得がいかず、モヤモヤされていたそうです。

するとある晩、その人の夢に明先生が、もう一人の誰かと一緒に現れました。

明先生は、自分がなぜこのタイミングで召されたのか、その人に説明。

その人は、その説明に納得したそうです。

でも、その説明の内容は、起きたら忘れてしまいました>_<

でも、納得したことは覚えているし、納得した気持ちだけは起きた後もしっかり残っていたとのこと。

一緒にいたもう一人の人は、何も言わず黙っていたそうですが、それはイエス様だったのかもしれません。

その人は説明された内容を忘れてしまいましたが、順先生は「神様の計画でわたしの出番はここからここまでだったんだ」という内容のことを説明されたんじゃないかと思っておられるようでした。

うーん。

不思議な出来事ですねぇ。。。

まとめ

神様はきっと、全ての人に自分の役を果たすことを願っておられます。

あなたにも、私にも。

そしてそれは、自分にしか出来ないことであり、親の世代とは全く異なるものになる。

このメッセージを聞いて、神様からそんなメッセージを受け取ったような気がします。

それがどんなものなのか、私にはまだ分かりません。

でも一つだけ思うのは、順先生は「あなたたちはヨシュアの世代だ」とおっしゃったけれど、私の聖書通読はまだバリバリモーセの時代、民数記。

まだ外に出て伝道するより、聖所にこもって神様との一対一の関係を学ぶべき時なのかなと感じています。

事実、伝道したいと思っている友達と連絡を取ってもタイミングが合わないので、「まだその段階じゃない」と神様に言われているように感じるのです。

その時が来たら、私の前にも神様は戦いの姿で現れるものであると信じて、今すべきことをしていこうと思います。

以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!

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