こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
2016年2月14日 草加神召教会リバーサイドチャペルのマイティーサービスに参加させていただきました。
草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルのマイティーサービス
草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルは、東京スカイツリーライン 松原団地駅より徒歩5-10分ほどのところにある教会です。
マイティーサービスは毎週日曜日 17時半から行われている夕方の礼拝です。
詳しくは下記教会HPをご確認いただければと思います。
また、マイティーサービスのブログもございます。ご興味のある方は、こちらもご覧くださいませ^ ^
この日のメッセンジャー
本教会の、村田優子先生がお話して下さいました!
この日はバレンタインデー
2月14日は、言わずと知れたバレンタインデー。
日本では、一応、女性から男性にチョコレートを贈って愛を告白する日となっていますが、最近は義理チョコに友チョコと、とにかくみんなが片っ端からチョコレートを贈りまくる日となっている印象さえあります(^_^;)
チョコレート好きの私としては、この機会にチョコレートをたくさん食べれるので、嬉しい限りですが(苦笑)
世界には様々なバレンタインデーの形式があるようですが、共通するのは、いずれもプレゼントを贈ることで、愛を確かめ合う日であることのようです。
人が欲しているものって、いつの時代も、人の変わらぬ愛なんですね。
人の望むものは、人の変わらぬ愛である。
(箴言19章22節)
世界には様々なバレンタインデーがある
世界には様々なバレンタインデーがあります。
ヨーロッパのバレンタインデーは、男性から女性へも、女性から男性へもプレゼントを贈り合います。
北米は、男性から女性へプレゼントを贈ります。恋人だけではなく、家族や友人の女性にも贈ることが多いようです。
オーストラリアは、男性から女性へプレゼントを贈ることが多く、バラの花が贈られることが多いとのこと。
韓国は、日本の影響か、女性から男性へチョコレートを贈ることが多く、その熱狂ぶりは日本以上だとか。
以前ニュースで、バレンタインにチョコをもらえなかった男性は、ホワイトデーの日に黒い麺をすすって決起集会を開くブラックデーという習慣もある、と聞いたことがありますが、韓国に留学経験のある人の話では「そんな習慣は聞いたことがない」そうなので、ニュースで報じていたほど浸透はしていないのかもしれません。
台湾は、7/7もバレンタインで、バレンタインデーが年に二回あります。
男性が女性に花をプレゼントするか、お互いに贈り合うことが多いようです。
タイは、男性から女性に花を贈り、バレンタインデーに合わせて入籍するカップルも多いのだとか。
ベトナムでは、男子が女子に花を贈ります。最近はチョコレートを贈ることも多いようです。
インドは、男性から女性へ花を贈るようですが、最近は「ヒンズー教の教えに反している」として、右翼団体に攻撃されることもあるのだとか。
マレーシアは、男性から女性にチョコレートなどを贈るようですが、ここもイスラム圏のためか、弾圧的な動きもあるようです。
サウジアラビアは、イスラム教の教えに反するとして、バレンタインを祝うことは法律で禁じられていますが、この法律自体が形骸化していて、祝う人が多いようです。
でも最近は、取り締まりが厳しくなっていて、バレンタインを祝ったら死刑のすると言いだす権力者も出てきているとか。
命懸けのバレンタインですねm(_ _)m
人は誰でも愛されたい欲求を持っている
旧約聖書の箴言には、このように書かれています。
人の望むものは、人の変わらぬ愛である。
(箴言19章22節)
世界には様々なバレンタインデーがありますが、いずれも共通しているのは、プレゼントを贈ったり贈り合うことで、愛を伝えたり、確かめるためのイベントであると思えます。
人は誰でも、愛されたい欲求を持っています。
小さな子供が、弟や妹が生まれると幼児返りしてお母さんに構ってもらおうとするのも、愛されたいから。
大人の場合、子供のようにあからさまに幼児返りする人はあまりいないと思いますが、以下のような行動として現れることが多いようです。
愛への欲求を表すもの(一般情報誌より)
・人から慕われたい
・見栄を張る
・褒められたい
・自分を認めてほしい
・自分の話ばかりする
・ブランド品は、愛の代替品(着飾ることで自分を誇示し、認めてほしいと思っている)
・「パワー・マネー・セックス」も愛の代替品
このような人を見たら、「あぁ、愛に飢えているんだな」と思って、なるべく優しくしてあげましょう。
「うわぁ、自慢話うぜぇ痛いやだー」と思っているのが相手に伝わると、向こうはもっと構ってもらおうとしてそれらの行動をエスカレートさせてくるので、ご注意を。。。
(と言っても、私もあまり人のことは言えないのですが……)
でも、人の愛は不完全
同時に、愛したいという欲求もあります。
私たちは、愛がなければ生きていけないのです。
でも、人の愛は不十分で不完全であると、聖書は教えています。
日本語では「愛」と一つの言葉で一括りにされてしまっていますが、ギリシャ語には、愛と訳される言葉がたくさんあります。
・エロス(男女の愛)
・フィレオ(友情)
・ストルゲー(親の愛)
いずれも、条件付きの愛です。
「恋しているから愛する」「友達だから愛する」「自分の子供だから愛する」
ギブアンドテイクで、愛に対する見返りを求めます。
だから、傷付くこともあります。
「こんなに愛しているのに愛してくれない」「愛しているから色々やってあげているのに、ちっとも感謝してくれない」等
見返りを求めるのは良くないと思っていても、人は見返りを求めてしまうのです。
今、日本の離婚率は、3組に1組と言われています。
世界でも高い離婚率です。
どんな年代も悩み事の上位は、人間関係であると聞きます。
人の愛は不完全だから、傷ついてしまうことが多いのです。
親の愛は、神様の愛に最も近いと言われていますが、それでも不完全です。
子供に暴力を振るう親もいれば、子供に対して、気分次第で優しくしたり冷たくする親もいます。
子供を所有物のように扱ったり、思い通りにならないと逆上する親もいます。
親の愛も不完全なのです。
でもイエス様は、愛に何も返してくれない人達のために十字架にかかった
でも、イエス・キリストは、愛に対して見返りを求めるような方ではありません。
イエス・キリストは、病気の人、愛に飢えている人、様々な問題を抱えている人に寄り添い、惜しみなく愛を与えました。
病気を癒したり、友達のいない人の友達になったりしました。
だから、みんなイエス様が大好きになりました。
イエス様の周りには、イエス様を慕う人たちでいっぱいでした。
でも、そんなイエス様の人気を妬むパリサイ人達が、イエス様を十字架にかけて処刑する悪巧みを始めます。
イエス様を慕っていたはずの人達は、そんなパリサイ人たちの策略にまんまと惑わされて、あっさり裏切りました。
つい数日前まで「ダビデの子ホサナ!」と言っていた人達が、「十字架につけろ!」と言い出します。
イエス様の一番弟子のペテロも、そんな人たちを恐れて「イエスを知らない」と3回言いました。
人の愛の限界を表しています。
人の愛は不完全で、変わりやすいものなのです。
でもイエス様は、そんな人達のために、十字架にかかりました。
イエス様が十字架にかからなければ、この人達が神様の救いにあずかることが出来なかったからです。
この人達のことも、私たちのことも愛しておられたから。
だから、裏切りにも罵りにも痛みにも耐えて、十字架にかかりました。
このイエス・キリストの十字架の愛こそ、最上級の愛と言えます。
無条件で無限大の、完全な愛です。
人がその友のために命を捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
ヨハネの福音書15章13節
この愛を人生の土台としていくことで、その人から愛が流れるようになる
イエス様が命をかけて私たちを愛したのは、私たちに価値があるからです。
神の愛は完全。
ギリシャ語では「アガペー」と言います。
ギブ&ギブ。
無条件の愛です。
無条件の完全な愛は、人を癒し、生かします。
この愛を人生の土台としていくと、その人から愛が流れるようになります。
感想
すみませんm(_ _)m
「イエス様は私たちを愛しておられたから、罵りにも痛みにも耐えて十字架にかかった」の下りを書いているあたりで、涙が止まらなくなりました>_<
もう、「イエス様、今まで酷いことばっか言ったりしたりして、本当ごめんなさい」という気持ちになりました。。。
子供の頃から何度も聞かされてきた話なのですが……この年になって泣けてくるとは。
愛って、言葉で説明されて理解出来るものじゃないですね。
私たちがどれだけ努力しても、修行を積んでも、この愛を与えられるようにはなりません。
でも、得ることは出来ます。
すでに得ています。
神様は私のことも、今このブログを読んでいるあなたのことも、無条件で無限大の完全な愛で愛しておられるからです。
私は無条件の愛で人を愛することは出来ませんが、私がこの愛を人生の1番の土台として覚えて生きれば、この愛は私を通じて、私の周りの人にも流れていく。
こんな素敵なことはないですね^ ^
この愛を受けて、1番の土台にすることによって、ギスギスした関係の相手に和解を試み、良好で麗しい関係を築くことも、きっと出来る。
和解を試みる、平和を作る者となることが出来ると信じます。
そんな平和を作る器が、この国に溢れますように。。。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました。
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村田先生の過去のメッセージにつきましては、下記記事をご参照のこと。