こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日は申命記34章を読みました。
申命記34章
[ai] 申命記33章 モーセの祝福 の続きです。
本章には
- モーセの死(1-12節)
※サブタイトルは新共同訳聖書より
について書かれていました。
以下は、受洗1年7ヶ月目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には注釈、解説書、教会で得た知識等を総動員させていただいておりますが、聖書について詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
モーセの死(1-12節)
モーセは全イスラエルの民への説教を終えると、神様の命令通り、ネボ山の頂上に登り、そこから約束の地を見渡しました。
ここでモーセは生涯を全うします。
この時、モーセは120歳でしたが、目も霞んでいなかったし、活力もあって元気だったとあります。
その後は後継者のヨシュアが、イスラエルの民を率いることになります。
感想
新約聖書では何かと「モーセの律法が〜」と言い出す人が多いですが、それだけ、モーセは預言者の中でも特別な預言者でした。
10節には「再びモーセのような預言者は現れなかった」とありますからね。
「モーセのような預言者」とは、神様と直接顔を合わせて話す預言者のことを指すそうです。
解説書には、モーセは律法を象徴する存在であるとありました。
新約聖書には、「律法は本当の福音に導くための養育係のようなもの」とあるので、なるほどなと思いました。
モーセは約束の地に入ることは出来なかったので、律法も、新しい天と地には入ることは出来ません。
新しい天と地には、不要なものなのです。
でも、モーセが民を約束の地まで導いたように、律法もわたしたちをイエス・キリストの福音へ導いてくれます。
今のわたしたちには、必要なものであると言えると思います。
実際、出エジプト記〜申命記までのモーセの書を読むと、モーセの律法は、新約聖書でイエス・キリストが語っておられることより、シンプルで分かりやすいように思えます。(時代背景上、戦争賛美や情勢蔑視が目についてしまうのは否めませんが;;)
ここを経ないでいきなり新約聖書を読んでしまうと、イエス様はただただ厳しいお方であるという印象しか持てないかもしれませんm(_ _)m
(こう思うのは、わたしだけかもしれませんが;;)
参考文献
以下の解説書を参考にさせていただきました。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!
次回は 申命記のまとめ についてお届けいたします。
お楽しみに!