こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日は申命記26章を読みました。
申命記26章
[ai] 申命記25章 鞭打ち〜アマレクを滅せ の続きです。
本章には
- 信仰の告白(1-15節)
- 神の民(16-19節)
※サブタイトルは新共同訳聖書より
について書かれていました。
以下は、受洗1年7ヶ月目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には注釈、解説書、教会で得た知識等を総動員させていただいておりますが、聖書について詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
信仰の告白(1-15節)
新しい土地に入り、初めて取れた作物は、神様に献げます。
その時、神様がイスラエル人を大いなる国民にしてくれたこと、エジプトから救い出してくれたこと、乳と蜜の流れる豊かな土地の導き入れてくれたことへの感謝を宣言するように言われています。
そして、神様に献げた作物は、神様からその人とその家族、及び同じ地域に住んでいる寄留者やレビ人に与えられます。
そのことを共に喜び、祝うように、とのこと。
また、三年目ごとに、収穫物の十分の一を神様に献げます。
これもレビ人、寄留者、孤児、寡婦などの、弱い立場の人たちに与えられます。
そして、彼らがそれを食べて満ち足りたら、
「献げ物を全て命じられた通り、貧しい人に施したこと」
「汚れている間に食べたり、死者に供えたりはせず、言われた通りの扱ったこと」
「だから祝福して下さい」
と、宣言するように言われています。
神の民(16-19節)
モーセの第二の説教の締めの部分です。
神様は今まさに、イスラエル人たちに掟を守るように命じられたこと。
イスラエル人たちはそれを守ると誓ったこと。
神様はそれに応えて、イスラエル人を宝の民とすることを約束されたことが書かれています。
感想
信仰の告白って、大事なんだなと思いました。
多分、ここで告白するように言われていることって、当時のイスラエル人たちにとっては、耳にタコが出来るくらい何度もしつこく聞かされてきたことだと思うんです。
クリスチャン家庭の子どもが、「イエス様は十字架に架かって全ての罪を赦された」ということが、当然の常識のようになるくらい、刷り込まれるのと同じくらいに。
でも、それをあえて儀式の度に、何度も告白するように言われているんですよね。
言わないとだんだん忘れちゃうからなんですよね、きっと。
口に出して言うことによって、より確かなものとなる部分も、ありますもんね。
参考文献
以下の解説書を参考にさせていただきました。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!
次回は [ai] 申命記27章 石に掟を書き記せ〜呪いの掟 についてお届けいたします。
お楽しみに!