こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日は申命記25章を読みました。
申命記25章
[ai] 申命記24章 再婚について〜人道上の規定 の続きです。
本章には
- 鞭打ち(1-3節)
- 脱穀する牛の保護(4節)
- 家名の存続(5-10節)
- 組み打ちの場合(11-12節)
- 正しい秤(はかり)(13-16節)
- アマレクを滅せ(17-19節)
※サブタイトルは新共同訳聖書より
について書かれていました。
以下は、受洗1年7ヶ月目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には注釈、解説書、教会で得た知識等を総動員させていただいておりますが、聖書について詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
鞭打ち(1-3節)
二人の間に争いが生じ、裁判となった場合は、正しい方を無罪とし、悪い方に有罪の判決を下すこと。
有罪の者の刑が鞭打ちになる場合は、罪状に応じた回数打つこと。
上限は40回までに止めるよう言われています。
理由は「それ以上鞭打たれて、同胞があなたの前で卑しめられないため(3節)」。
悪いことをしても同胞として大切に扱うように、とのことのようです。
のちに、うっかり勢い余ったり数え間違いで41回打ってしまうケースも発生したため、鞭打ちの上限回数は39回に訂正されます。
脱穀する牛の保護(4節)
脱穀している牛に口籠(くつこ)を掛けてはならない(4節)とあります。
働いている牛にはちゃんとご飯を食べさせましょう、ということのようです。
のちの新約聖書で、パウロはこの箇所を引用し、「福音を宣べ伝える者は福音を宣べ伝えることで食べていくべきである」という旨のことを話しています。
家名の存続(5-10節)
もし長男が妻との間に子供を残さずの死んだ場合、兄弟がその妻を娶って子供をもうけ、長男の子供として家督を継がせるように言われています。
もし兄弟がそのことを拒んだ場合、妻はそのことを町の長老たちに訴え、長老たちは彼を説得しなければなりません。
それでも拒んだ場合は、妻は長老たちの前で彼の靴を脱がせ、顔に唾を吐き「自分の兄弟の家を興さない者はこのようにされる」と宣言。
彼はイスラエルのあいだで「靴を脱がされた者の家」と呼ばれるそうです。
現代の感覚では物凄く意味不明な話ですが、当時の人たちにとっては、家督はとても大切なもので、家督を失うことは、神様から受け継ぐ土地を失うことを意味していました。
靴を脱がされることは、権利譲渡、もしくは義務放棄を表します。
この場合は、義務放棄ですね。とても不名誉なことになります。
組み打ちの場合(11-12節)
二人の男が取っ組み合いの喧嘩をしている時、片方の奥さんが夫を助けようとして、相手の男の急所を掴んだ場合、その手は切り落とさなければならない、とあります。
憐れみをかけてはならないそうです。
たとえ夫を助けるためといえど、やり過ぎはいけない、ということでしょうか??
それとも、本人同士の喧嘩に、妻といえど他人が加わってくるな、ということでしょうか?
集団的自衛権の是非について、考えさせられます。
正しい秤(はかり)(13-16節)
二つの秤を持ってはならない、とあります。
商売において、売る時は大きい秤を使って高く売り、買う時は小さい秤を使って安く買う、という不正を行ってはならない、という意味のようです。
アマレクを滅せ(17-19節)
アマレク人を滅ぼし、その記憶を完全に天の下から拭いさるように言われています。
彼らは神を恐れず、エジプトから出て疲れ切っているイスラエル人を襲った極悪非道な人たち。
神様から相当なお怒りを買っているようです。
……でも、聖書に記述が残っている時点で、存在が今日まで語り継がれちゃってるじゃん、ということは、言わないほうがいいのでしょうか?(笑)
参考文献
以下の解説書を参考にさせていただきました。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!
次回は [ai] 申命記26章 信仰の告白〜神の民 についてお届けいたします。
お楽しみに!