こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日は申命記18章を読みました。
申命記18章
[ai] 申命記17章 正しい礼拝〜王に関する規定 の続きです。
本章には
- レビ人および祭司に関する規定(1-8節)
- 異教の習慣への警告(9-14節)
- 預言者を立てる約束(15-22節)
※サブタイトルは新共同訳聖書より
について書かれていました。
以下は、受洗1年6ヶ月目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には注釈、解説書、教会で得た知識等を総動員させていただいておりますが、聖書について詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
レビ人および祭司に関する規定(1-8節)
本段落の個人的中心聖句は、以下の箇所です。
6 レビ人は、現在寄留しているイスラエル中のどの町からでも、望むがままに主の選ばれる場所に移り、7 主の御前に立つ者となっている自分の兄弟である他のレビ人と同じように、その神、主の名によって仕えることができる。(6-7節)
祭司とレビ人の関する決まりごとが書かれています。
祭司は献げ物のどの箇所を食べるかとか、レビ人はどこに住むかといったことについて、書いてあります。
祭司の補佐をするレビ人は、いつでも好きな場所に移住して神様に仕えることが出来るそうです。
ここで言われている「主の選ばれる場所」というのは、「中央聖所のある場所」という意味なんですかね?
それとも、神様が「ここに行きなさい」と言われた場所なんですかね?
後者だとしたら「望むがままに」とは少し違う気がするのですが……「分かりました、神様。その通りにします」と納得してのことなら「望むがままに」という表現も当てはまるのでしょうか?
異教の習慣への警告(9-14節)
本段落の個人的中心聖句は、以下の箇所です。
10 あなたの間に、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占い師、卜者、易者、呪術師、11 呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。(10-11節)
当時のカナン地方で当たり前のように行われていた異教の習慣に染まってはいけないと警告されています。
毎章のように警告されていますね。
ここで言われている「火の中を通らせる」とは、サーカスでライオンが火の輪くぐりをしているようなものではなく、子供を燃やして偶像に献げたり、占いを行ったりすることを指します。
これらは神様がいとうべきこととされたことであり、許されないと明言されています。
預言者を立てる約束(15-22節)
本段落の個人的中心聖句は、以下の箇所です。
あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない。(15節)
ここでの「わたし」はモーセ、「あなた」はイスラエルを指します。
出エジプト直後、ホレブ山で神様が直接民の前に現れた時、民たちは「これ以上神様を直接見たら死んでしまう」と訴えたので、モーセのような代表者が神様の言葉を全て取り継ぐことになりました。
これが預言者の起源です。
感想
ちょっと気になったのが、最後の預言者の箇所。
預言者が神様に言われていないことをさも神様に言われたかのように語ってはいけない、また、その場合民は従う必要はないとも書いてあります。
でも、一般の民には預言者が嘘を言っているかどうか、判別のしようがないですよね。
判別方法として「言ったことが起こらなければ主が語られたものではない」とあるのですが……それ、時間が経たないと分からないじゃん、と。。。
例えば、何も悪くない人たちを陥れるために「この民族は100年後に大罪を犯すから今すぐ滅せと神が言われている!」とでも言えば、100年後を確認する前に民を人殺しに仕立て上げることも可能です。
もちろん、そうでない人が預言者に選ばれるのでしょうが、わざわざ書いてあるということは、そういうことも起こりうるということですよね?
預言者が神にならないように、との警告の意味もあるのでしょうか?
何にせよ、預言者でも間違えるんだから、牧師や教職者だって間違える。神様の言葉を取り継ぐ人でも、盲信は禁物、ということですね。
参考文献
以下の解説書を参考にさせていただきました。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!
次回は [ai] 申命記19章 逃れの町〜裁判の証人 についてお届けいたします。
お楽しみに!