こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日は申命記16章を読みました。
申命記16章
[ai] 申命記15章 負債の免除〜初子の規定 の続きです。
本章には
- 三大祝祭日(1-17節)
- 正しい裁判(18-20節)
- 正しい礼拝(21-22節、17章に続く)
※サブタイトルは新共同訳聖書より
について書かれていました。
以下は、受洗1年6ヶ月目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には注釈、解説書、教会で得た知識等を総動員させていただいておりますが、聖書について詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
三大祝祭日(1-17節)
本段落の個人的中心聖句は、以下の箇所です。
16 男子はすべて、年に三度、すなわち除酵祭、七週祭、仮庵祭に、あなたの神、主の選ばれる場所に出ねばならない。ただし、何も持たずに主の御前に出てはならない。17 あなたの神、主より受けた祝福に応じて、それぞれ、献げ物を携えなさい。(16-17節)
ユダヤ教の三大祭り、除酵祭(過越祭)・七週祭・仮庵祭について書かれています。
過越祭は、イスラエルの民がエジプトから救い出されたことを感謝するお祭り、
七週祭と仮庵祭は、いずれも収穫祭のようです。
すべて共通しているのは「神様がイスラエルの民をエジプトから救い出し、新たに与えられた土地で、何不自由なく平和に暮らせていることを感謝する」ためのお祭りであること。
特に出エジプトと関連が深いのは過越祭で、七週祭と仮庵祭は、その後の満ち足りた生活を感謝する趣旨が強いように思えます。
過越祭については、下記記事もご参照のこと。
[ai] 出エジプト記12章 主の過越〜過越祭の規定
七週祭については、下記記事もご参照下さい。
[ai] 民数記28章 献げ物の規定〜七週祭の献げ物
正しい裁判(18-20節)
本段落の個人的中心聖句は、以下の箇所です。
18 あなたの神、主が部族ごとに与えられるすべての町に、裁判人と役人を置き、正しい裁きをもって民を裁かせなさい。19 裁きを曲げず、偏り見ず、賄賂を受け取ってはならない。賄賂は賢い者の目をくらませ、正しい者の言い分をゆがめるからである。20 ただ正しいことのみを追求しなさい。そうすれば命を得、あなたの神、主が与えられる土地を得ることができる。(18-20節)
中心というか、全部ですね(^_^;)
全部大事だと思ったので、引用させていただきました^ ^
「賄賂は賢い者の目をくらませ、正しい者の言い分をゆがめる」とは、お金は賢い人をダメにし、正しい人を貶めるものと言われているようです。
つまり、お金には悪魔が潜んでいる。
神様の御心とは逆の方向に進ませる悪魔が潜んでいるので、十分気をつけないといけません。
そして、20節には「ただ正しいことのみを追求しなさい」とあります。「そうすれば命を得る」とも。。。
お金に目がくらんだところで、最終的には得をしないよ、と言われているようです。
同時に、正しいことを追求するのって大事なことなんだなと思いました。
本当に正しいことを理解しておられるのは神様だけだけど、それを追求する、追い求める気持ちを持つことは大切ですよね。
求めないのは、良くないことだと思います。
正しい礼拝(21-22節、17章に続く)
本段落の個人的中心聖句は、以下の箇所です。
21 あなたは、あなたの神、主の祭壇を築いて、そのそばに、アシェラ像をはじめいかなる木の柱も据えてはならない。22 また、あなたの神、主が憎まれる石柱を立ててはならない。(21-22節)
アシェラ像は当時カナンの先住民族の間で崇められていた代表的な偶像。
木の柱、石柱は、偶像礼拝に使われていた何か、もしくは偶像そのものを指しているものと考えられます。
神様と偶像、両方に仕えていいとこ取りをしようなどとは考えるな、ということですね。
……そんなことが注意喚起される、ということは、私たち人間はしばしば、神様と偶像(神様以外の何か)に同時に仕えていいとこ取りをしようとしてしまうところがある、ということを指摘されているように思えます。
次の17章に続きます。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!
次回は [ai] 申命記17章 正しい礼拝〜王に関する規定 についてお届けいたします。
お楽しみに!