こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日は申命記15章を読みました。
申命記15章
[ai] 申命記14章 禁止されている行為〜収穫の十分の一に関する規定 の続きです。
本章には
- 負債の免除(1-11節)
- 奴隷の解放(12-18節)
- 初子の規定(19-23節)
※サブタイトルは新共同訳聖書より
について書かれていました。
以下は、受洗1年6ヶ月目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には注釈、解説書、教会で得た知識等を総動員させていただいておりますが、聖書について詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
負債の免除(1-11節)
本段落の個人的中心聖句は、以下の箇所です。
この国から貧しい者がいなくなることはないであろう。それゆえ、わたしはあなたに命じる。この国に住む同胞のうち、生活に苦しむ貧しい者に手を大きく開きなさい。(11節)
ここで言われている「あなた」はイスラエルの全ての民のこと、「手を大きく開きなさい」とは、惜しまずに必要なお金を貸してあげなさい、という意味です。
一方で、4-5節にはこのように書いてあります。
4 あなたの神、主は、あなたに嗣業として与える土地において、必ずあなたを祝福されるから、貧しい者はいなくなるが、5 そのために、あなたはあなたの神、主の御声に必ず聞き従い、今日あなたに命じるこの戒めをすべて忠実に守りなさい。(4-5節)
この段落には、他に
・貧しい同胞にはお金を貸してあげなさい
・7年ごとに負債を免除しなさい
ということが書かれています。
恐らくは、ちゃんと神様の言うことを聞いていれば貧しい人はいなくなるけれど、言うことを聞かなければいなくならないという意味かと思います。
お金をたくさん持っている人が貧しい人に貸してあげて、その上、7年ごとに免除してあげていれば、誰も貧しい思いをしなくてすみますからね。
「7年ごと」の正確な意味は、ちょっとよく分かりません。。。
負債を負ってから7年という意味なのか、7年に一回、あらゆる負債を免除する年が定められるのか。
でも、「ごとに」ということは、7年に一回、負債免除の年が設けられると考えた方がいいのでしょうか?
奴隷の解放(12-18節)
本段落の個人的中心聖句は、以下の箇所です。
同胞のヘブライ人の男あるいは女が、あなたのところに売られて来て、六年間奴隷として仕えたならば、七年目には自由の身としてあなたのもとを去らせねばならない。(12節)
ヘブライ人とは、イスラエル人のことです。
現代の感覚では、奴隷制度自体あってはならないだろうと思いますが、旧約聖書の時代は、それがあることはふつうのことでした。
なので、それについての規定がなされています。
7年目には解放すること。
去る時にはたくさんの贈り物を渡すこと。
もしその人が、7年経っても出て行きたくないと言ったら、耳たぶを戸につけて錐で刺し通すように、と言われています。
耳は従順の、戸は家の象徴であると考えられます。
自分たちもかつてはエジプトで奴隷だったのだから、奴隷には優しくするように、と、全体を通して言われているようです。
初子の規定(19-23節)
本段落の個人的中心聖句は、以下の箇所です。
牛や羊の雄の初子は、みなあなたの神、主に奉献しなければならない。牛の初子を仕事に使ってはならない。羊の初子の毛を刈ってはならない。(19節)
イスラエル人は、飼育している家畜の初子(最初の雄)を、神様に献げる決まりがあります。
この時、献げる前に仕事で使ったり、毛を刈ってそれを自分たちのために使ってはいけないと言われています。
神様に献げるものだから、自分たちのために使ってはいけないと言われているようです。
でも、焼いて献げたあとは、決められた礼拝の場所で食べていいようです。(20節)
感想
最初の段落、特に引用した11節に関しては、今現在の日本の国に対して言われているように感じました。
本当、神様の言うことをちゃんと聞いていれば、誰かが貧しくなることなんて、本当はないはずなんですよね。
でも、実際には、一部の富裕層ばかりがどんどん富を蓄え、貧困層が増えるばかり。
神様の言うことを聞いていない、神様以外のものを神だと思って聞き従っている証拠だと思います。
実際のところ、イスラエル人もちゃんと神様の言うことを徹底して守れていなかったから、貧しくて苦しむ人がいなくなることはありませんでした。
富裕層と貧困層の境界線が、主のよって打ち破られるよう、お祈りするばかりです。
この教えが、日本中、世界中に広まり、守られていきますように。。。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!
次回は [ai] 申命記16章 三大祝祭日〜正しい礼拝 についてお届けいたします。
お楽しみに!