こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日は申命記14章を読みました。
申命記14章
[ai] 申命記13章 異教の礼拝に対する警告〜他の神々の礼拝に対する警告 の続きです。
本章には
- 禁止されている行為(1-2節)
- 清い動物と汚れた動物(3-21節)
- 収穫の十分の一に関する規定(22-29節)
※サブタイトルは新共同訳聖書より
について書かれていました。
以下は、受洗1年6ヶ月目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には注釈、解説書、教会で得た知識等を総動員させていただいておりますが、聖書について詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
禁止されている行為(1-2節)
本段落の個人的中心聖句は、以下の箇所です。
あなたたちは、あなたたちの神、主の子らである。死者を悼むために体を傷つけたり、額をそり上げてはならない。(1節)
いずれも異教の習慣であったようです。
神様の子なのだからそれをしてはいけない、と、厳しく警告されています。
清い動物と汚れた動物(3-21節)
本段落の個人的中心聖句は、以下の箇所です。
その他ひづめが分かれ、完全に二つに割れており、しかも反すうする動物は食べることができる。(6節)
食べていい動物といけない動物について書かれています。
書かれている内容は、レビ記11章とほぼ同じです。
ひづめが完全に割れていること
=この世と完全に聖別されていること
反芻する
=御言葉を反芻する
上記のような、宗教的な意味合いが理由にあります。
また、衛生面の問題であったり、異教で重用されている動物だからダメ、といった意味合いなどもあったようですが、色々と謎も多く、説き明かしきれていない箇所みたいですね。
恐らくは、この時点でのイスラエル人がこれらの規定を守ることに意味があったものと考えられます。
参照 : [ai] レビ記11章 清いものと汚れたものに関する規定
収穫の十分の一に関する規定(22-29節)
本段落の個人的中心聖句は、以下の箇所です。
24 あなたの神、主があなたを祝福されても、あなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所が遠く離れ、その道のりが長いため、収穫物を携えて行くことができないならば、25 それを銀に換えて、しっかりと持ち、あなたの神、主の選ばれる場所に携え、26 銀で望みのもの、すなわち、牛、羊、ぶどう酒、濃い酒、その他何でも必要なものを買い、あなたの神、主の御前で家族と共に食べ、喜び祝いなさい。(24-26節)
イスラエルの民は、毎年、収穫の十分の一を神様に献げなければなりません。
それも、カナン入国後は、神様の指定された場所で献げ物をしなければなりません。
時には、その場所が遠くて持ち運ぶのが大変だ、という場合も出てきます。
なので神様は、「持ち運ぶのが大変だったらお金に換えて、着いてから献げ物の動物を買って献げればいいよ」と言ってくれています。
参照 : [ai] 申命記12章 礼拝の場所〜異教の礼拝に対する警告
感想
併せて読んだ解説書にも書いてありましたが、お金に換えて持ち運べばいいというのは、何とも配慮の行き届いた神様ですね!
人はとかく、苦しめば苦しむほど美徳と思い込みがちですが、神様への奉仕が、苦痛で続けることが困難になってしまっては、本末転倒です。
時には、苦しんで何かを成し遂げることに、意味がある場合もあります。
でも、私たちが苦しむこと自体を、神様は望んではおられません。
神様への奉仕によって、私たちが苦しんで参ってしまうことは、神様の御心ではありません。
喜んで、楽しんで、継続出来るよう、工夫することも必要です。
また、祈るときも、長さよりどれだけ心がこもっているかの方が大切です。
長くて(一見)立派な祈りが出来ないからといって、自分を責める必要はありません。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!
次回は [ai] 申命記15章 負債の免除〜初子の規定 についてお届けいたします。
お楽しみに!