こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日は申命記1章を読みました。
申命記1章
[ai] 聖書通読まとめ 民数記 1周目 の続きです。
本章には
- はじめに(1-5節)
- 主の命令と約束(6-8節)
- 役職者の任命(9-18節)
- 偵察隊の報告と民の不信(19-33節)
- 主の怒りと民の不服従(34-46節)
※サブタイトルは新共同訳聖書より
について書かれていました。
以下は、受洗1年5ヶ月目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には注釈、解説書、教会で得た知識等を総動員させていただいておりますが、聖書について詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
はじめに(1-5節)
申命記のまえがきのようなものが書かれています。
約束のカナンの地入国の直前、モーセがイスラエルの民たちの前で、律法の説き明かしをしました。
その内容が書かれているのが申命記です。
序文は三人称で書かれていますが、以後はモーセの一人称で書かれています。
主の命令と約束(6-8節)
イスラエルの民がエジプトを出、最初に立ち寄ったのがホレブ山でした。
ここにしばらく滞在しましたが、神様は「あなたたちは久しくこの山にとどまっている。向きを変えて出発せよ」と言われ、長い旅が始まります。
申命記1章はじめの方は、これまでの旅の振り返りのようです。
このホレブ山にいた頃と、この説教が行われている時では40年くらい経っているので、民の多くは代変わりしています。
なので、昔のことを知らない若い人たちに、これまでの出来事を話して聞かせているものと思われます。
役職者の任命(9-18節)
民の数がとても多くなったため、モーセ一人で民全ての話を聞くことは難しくなりました。
なので、民の中から代表者を選び、簡単な揉め事はその人に解決してもらうことになります。
(この段落には書いてありませんが、モーセの義父イテロの助言による采配です)
代表者は部族ごとに「賢明で思慮深く、経験に富む人々」を選んで、民の長とします。
千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長が選ばれました。
この人たちに、モーセはこう言っています。
「同胞の間に立って言い分をよく聞き、同胞間の問題であれ、寄留者との間の問題であれ、正しく裁きなさい。裁判に当たって、偏り見ることがあってはならない。身分の上下を問わず、等しく事情を聞くべきである。人の顔色を伺ってはならない。裁判は神に属することだからである。事件があなたたちの手に負えない場合は、私のところに持って来なさい。私が聞くであろう」
現在の裁判においても、同様のことが言えますね。
偵察隊の報告と民の不信(19-33節)
ホレブ山をたち、様々な困難の中荒野を進み、イスラエルの民はとうとう、神様は約束されたアモリ人の地に着きました。
モーセはすぐにでもその土地に上って行って取るように命じましたが、民たちは「まず人を派遣し、その土地を探らせ、我々がどの道を上り、どの街に行くべきか報告させましょう」と提案。
モーセは、それは名案だと思い、各部族からそれぞれ一人ずつ、12人の代表を選び、偵察に向かわせました。
偵察から戻った彼らは、「我々の神、主が与えて下さる土地は良い土地です」と報告。
でも同時に、そこに住んでいたアモリ人たちが巨人であったことに恐れをなし、
「主は我々を憎んでエジプトの国から導き出し、アモリ人の手に渡し、我々を滅ぼそうとしておられるのだ」
と、神様に逆らって不平を言いだしました。
モーセは「うろたえてはならない。彼らを恐れてはならない。あなたたちに先立って進まれる神、主ご自身が、エジプトであなたたちの目の前になさったように、あなたたちのために戦われる」と励ましましたが、彼らは不平を言うのをやめません。
でも、この方こそ、民の先頭を進み、宿衛の場所を探し、夜は火、昼は雲によって行く手を示された神様です。
私たちの前を進み、休む場所を探し、行く手を示される神様でもあります。
主の怒りと民の不服従(34-46節)
民が神様に逆らうので、神様は憤り、こう誓われました。
「この悪い世代の人々のうちで、わたしが与えると先祖に誓った良い土地を見る者はない」
彼らは神様に逆らったので、この荒野で死ぬと宣告されました。
でも、一緒に斥候として出向いたカレブとヨシュアは、神様に従い通したので、約束の地に入ることを許されました。
それを宣告された民たちは、何を勘違いしたのか、「我々が間違っていた。主が命じられたように戦おう」と言いだします。
神様はモーセに止めるように命じ、モーセは彼らに「攻め上ったところで主はともにおられないのだからやめなさい」と止めましたが、彼らは自分勝手にかたをつけに行ってしまいます。
神様の庇護なくして、巨人に勝てるわけもなく、案の定、彼らは返り討ちにあいました。
また、モーセ自身も、メリバの水 の件が原因では、約束の地に入ることを許されなくなりました。
感想
出エジプトからこれまでの書の内容の振り返りです。
モーセの書はしばしば、「あれ?これ前に読まなかったっけ?」なことが出てきますね。
まるで今聖書を読んでいる私が、前に読んだことをもう一度思い出すためであるかのように。。。
振り返りでも、その時々で違う感想を持つことがあります。
今回特に心に残ったのは、裁判に関する部分。
「同胞の間に立って言い分をよく聞き、同胞間の問題であれ、寄留者との間の問題であれ、正しく裁きなさい。裁判に当たって、偏り見ることがあってはならない。身分の上下を問わず、等しく事情を聞くべきである。人の顔色を伺ってはならない。裁判は神に属することだからである。事件があなたたちの手に負えない場合は、私のところに持って来なさい。私が聞くであろう」(申命記1章16-17節)
どちらか片方の言い分だけでなく、両方の言い分を聞くこと。
最初からどちらかに寄った心で聞くのではなく、どちらに対しても同じように、まっさらな心で聞くこと。
大事ですね。
ニュースなどは時として、どちらか一方だけの言い分を伝えていたり、どちらか一方が良く見えるように伝えている場合も多いです。
それは、人が報道しているものだから、仕方がないです。
正しく判断するためには、たくさん情報を集めて、両方の立場・言い分が分かるようにすることが大切だと思います。
それでも分からなかったら、神様に祈って、聞いてみるといいと思います。
神様は全てのご存知ですから。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!
次回は [ai] 申命記2章 北上の命令〜ヘシュボンの王シホンとの戦い についてお届けいたします。
お楽しみに!