こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日は民数記9章を読みました。
民数記9章
[ai] 民数記8章 燭台のともし火皿〜レビ人の任期 の続きです。
本章には
- 月遅れの過越の規定(1-14節)
- 雲が幕屋を覆う(15-23節)
※サブタイトルは新共同訳聖書より
について書かれていました。
以下は、受洗1年3ヶ月目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には注釈、解説書、教会で得た知識等を総動員させていただいておりますが、聖書について詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
月遅れの過越の規定(1-14節)
イスラエルの民がエジプトを出た翌年の第一の月、神様は、この月の14日に過越祭(すぎこしさい)を行うよう、お命じになりました。
これはイスラエルの民がエジプトを出る直前、神様が夜エジプトの街に降り、エジプト人の初子(ういご=長男)を全て打ったことから始まったお祭りです。
この時神様は、エジプト人の初子は全て打ちましたが、神様の命令に従って過越祭を行ったイスラエル人の家は過ぎ越し、イスラエルの長男は打ちませんでした。
このことが決定打となって、イスラエル人はエジプトを出ることになります。
以後神様は、代々に渡ってこの過越祭を行い、神様がイスラエルの民をエジプトから救い出したことを思い出し、感謝するようにと言われました。
でも、死体に触れて汚れてしまったため、この過越祭に参加出来なかった人達がいました。
この人達はモーセとアロンに、どうしたらいいのか尋ねます。
モーセが神様に伺いを立てると、神様は「過越祭を守らなかった者は民から断たれる。しかし、何らかの理由で汚れたり、長旅に出ていた者は、一ヶ月後の14日に過越祭を行いなさい」と言われました。
雲が幕屋を覆う(15-23節)
幕屋が出来上がると、雲が幕屋を覆いました。
この雲は、イスラエルの民を荒野で導いた雲の柱。
つまり、神様です。
この雲は常に幕屋の上にあり、夜になると燃える火のようになって幕屋の上に止まり続けました。
この雲が幕屋を離れて昇ると、イスラエルの民は移動。
一つの場所にとどまったら、そこに宿営しました。
一日しか宿営しない日もあれば、何日も、何ヶ月も宿営する時もありました。
でもイスラエルの民は、雲が動かないのに勝手に先に進んだりはせず、雲が動かない時は何日でもそこにとどまりました。
感想
イスラエルの民がちゃんと雲の柱に従ってついて行ったのは、神様に従ったことを表します。
勝手に神様を差し置いて先に行ったり、神様が行けと言っているのに行かないこともありません。
神様が何日も同じ場所にとどまり続けたら、不安になることもあったろうと思います。
居心地の悪い場所に何日もとどまられて、辛かったこともあったろうと思います。
でも、神様は最善の道を示しておられるので、従わないで自分勝手に進むことは、ただ迷子になって彷徨い歩くだけ。
それは、今の私たちのお祈りに対しても一緒です。
今の状況を脱却したくて「神様、私はどうしたらいいですか?」「どちらに進んだらいいですか?」と祈っても、答えが得られない。
「待ちなさい」「今はこのままとどまりなさい」と言われることもあります。
(現に、私がそう)
そういう時は、神様を無視して勝手に動くのではなく、神様が道を示されるまで待ちましょう。
神様は最善の道を、最善のタイミングで計らって下さいます。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!
次回は [ai] 民数記10章 二本の銀のラッパ〜契約の箱 についてお届けいたします。
お楽しみに!