こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日は民数記31章を読みました。
民数記31章
[ai] 民数記30章 誓願の規定 の続きです。
本章には
- ミディアンに対する復讐(1-24節)
- 分捕り品の分配(25-47節)
- 指揮官たちの献げ物(48-54節)
※サブタイトルは新共同訳聖書より
について書かれていました。
以下は、受洗1年4ヶ月目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には注釈、解説書、教会で得た知識等を総動員させていただいておりますが、聖書について詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
ミディアンに対する復讐(1-24節)
神様はモーセに言いました。
「イスラエルの人々がミディアン人から受けた仕打ちに報復しなさい。その後、あなたは先祖の列に加えられるであろう」
ミディアン人から受けた仕打ちとは、[ai] 民数記25章 べオルにおけるイスラエル に書かれていることです。
イスラエル人がミディアン人の娘たちにそそのかせれ、淫行を重ねた末、偶像崇拝までしだしたため、神様は罪を犯した民に罰を下しました。
そそのかせれる方も悪いですが、そそのかした側に、神様が何の罰も下さないはずがありません。
神様はモーセに、イスラエルの全部族から千人ずつ兵を送り、戦いに出すように言われました。
モーセは言われた通り、計12,000人の兵士を戦いに送り出し、祭司ピネハスに、出陣のラッパと祭具を持たせて同行させます。
※ピネハスは上記25章において、白昼堂々ミディアン人の女を連れ込んで淫行しようとした民を、その女もろとも処刑した人物です。
兵士たちは神様がモーセに命じられた通り、ミディアン人と戦い、男子を皆殺しにし、ミディアンの王や重鎮たち、べオルの子バラムも剣にかけて殺します。
女と子供は捕虜として捉え、家畜や金目の物を奪って、仲間の元へ持ち帰ります。
モーセとエルアザルは宿営の外まで彼らを迎えに行きますが、モーセは、民をそそのかした女たちを生かしておいたことを憤りました。
「べオルの事件は、この女達がバラムにそそのかされ、イスラエルの人々を主に背かせて引き起こしたもので、そのために主の共同体に災いがくだったではないか。直ちに男の子は皆、殺せ。男と寝て男を知っている女達も皆、殺せ。まだ男と寝ず、男を知らない娘は、あなたたちのために生かしておくがよい」
ここで言われているバラムは、[ai] 民数記24章 バラムの第三の託宣 に出てくるバラムと同一人物と思われます。
24章では神様に従ったバラムですが、最終的には逆らって、剣にかけられたということですね。
そしてモーセは、兵士たちに、人を殺した者、殺された者に触れた者は汚れているから宿営の外に止まり、3日目と7日目に身を清めるように言いました。
衣服、革製品、木製品、毛製品も全て清めるように言いました。
その後エルアザルが
「主がモーセに与えられた律法の定めは次のとおりである。金、銀、青銅、鉄、すず、鉛など、全て火に耐えるものは、火を通すと清くなる。それ以外のものは、清めの水で汚れを清める。火に耐えないものはすべて水を通さねばならない」
と言っているので、持ってるものは全部清めるという意味にとらえていいかと思います。
これは衛生面でも、また宗教的な観点でも必要な清めでした。
分捕り品の分配(25-47節)
神様はモーセに、手に入れた戦利品の分配の仕方について、指示を出されました。
戦いに行った勇士とその他の者で折半。
勇士はそのうちの500分の1を神様に献げ、モーセがそれをエルアザルに与えます。
その他の者は50分の1を神様に献げ、モーセはそれをレビ人に与えます。
モーセは言われた通りにしました。
羊が何匹とかろばが何頭いたとか、具体的な数もこと細かに書かれていますが、覚えられないので割愛。
気になる方は、民数記31章36-47節に書いてあるので、調べてみて下さい。
指揮官たちの献げ物(48-54節)
部隊の指揮官である千人隊長と百人隊長が、モーセの前に進み出て、言いました。
「僕どもは、部下の兵士の人員点呼をいたしました。一名も欠けていません。わたしたちは、めいめいで手に入れた腕飾り、腕輪、指輪、耳輪、首飾りなど金の飾り物を献げ物として主にささげ、主の御前に、わたしたち自身の贖いの儀式をしたいのです」
要するに、全員無事に生きて帰ってこれたから、神様にお礼がしたい、ということですね。
モーセとエルアザルは、彼らから金の飾り物を全て受け取りました。それらはとても良く細工されたものでした。
献げられた金の量は16,750シェケル(約190kg)でした。
モーセとエルアザルはこれらの金を幕屋に携え、神様の前に、記念品として飾りました。
感想
戦いから帰って来たあと、真っ先にモーセに怒られ、その上、身を清めなさいと言われた兵士たち。
命を賭けて戦っただろうに、ちょっと気の毒だなと思いました(苦笑)
でも、これが神様に命じられての戦いならなおのこと、神様の趣旨を守らなければなりません。
そして、戦争で戦うって、心が汚れることなんだなと思いました。
ここでの戦は神様に命じられての戦ですが、それでもこれだけ厳重に汚れを取らなければならないのです。
人の利権のための戦争となれば、それこそ直接戦場に出て戦った人も、命じただけの人も、ものっすごく心が汚れることになるのでしょうね。
清めることもしなければ、なおのこと。
イラク戦争のあとには、帰還したアメリカの兵士たちがたくさん、PTSDにかかり、苦しみました。
派遣された日本の自衛隊員たちも、帰国後、PTSDにかかった人がたくさんいました。
大手メディアでは報道されていませんが、少なくとも20人以上が、自殺したと聞きます。
これらの出来事と今日読んだ箇所を照らし合せて考えると、「戦争は心が汚れ、傷付き、わたしから離れてしまうんだよ」という、神様のメッセージを感じます。
火を通したり水を通したり、ということは、物理的に衛生面への配慮かもしれません。
でもそれ以上に、これくらい厳重にしっかりやらないと、心の汚れは消えないということを教えられているように思えます。
以前は、聖書にも戦は出てくるので、正義の戦争もあるんじゃないかと考えたこともありました(心からそうだとは思えなかったけど)。
でも、ちゃんと聖書を読めば、神様は人と人、民族と民族、国と国が戦うことを望んではおられないように感じます。
帰って来た兵士に真っ先に行わせたことが、「清め」ですからね。
本当に正しいことだけをしたのであれば、清めは必要ありません。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!
次回は [ai] 民数記32章 ルベン族とガド族の土地 についてお届けいたします。
お楽しみに!