こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日は民数記16章を読みました。
民数記16章
[ai] 民数記15章 献げ物に関する補足〜衣服の房 の続きです。
本章には
- コラ、ダタン、アビラムの反逆(1-35節)
※サブタイトルは新共同訳聖書より
について書かれていました。
以下は、受洗1年3ヶ月目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には注釈、解説書、教会で得た知識等を総動員させていただいておりますが、聖書について詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
コラ、ダタン、アビラムの反逆(1-35節)
レビ族のコラは、ルベン族のダタン、アビラムと組み、民の指導者250名を仲間に引き入れ、モーセとアロンに反逆を企てました。
「あなた達は分を超えている。民全体が聖なる者であるはずなのに、なぜあなた達が我々の上に立とうとするのか」
モーセは一度顔を伏せ、神様に伺いを立てると、彼らに言いました。
「主は明日の朝、主に属する者、聖とされる者を示して、その人をご自身のもとに近付けられる。コラとその仲間達は、全ての香炉を用意し、それに炭火を入れ、香を炊いて明日、主の前に出なさい。その時主のお選びになる者が聖なる者なのだ。レビの子らよ、分を超えているのはあなた達だ」
さらにモーセは、コラに「あなた達は神に選ばれたレビ人という立場が不服なのか」と言います。
彼らの主張は、一見、自由と平等を主張しているようですが、その実は、ただモーセやアロンが神様に優遇されていることが気に入らない、彼らに指示される立場が不服というだけの、実に身勝手なもの。
あわよくば、自分たちが彼らの立場に取って変わろうというものでした。
モーセはダタンとアビラムにも使いを送って呼び出しましたが、彼らは「乳と蜜の流れる地に導いてもくれない、この荒れ野で死なせるだけでは飽き足らず、なおも我々を支配しようとする奴の言うことなんか聞かない」と言って、呼びかけに応じません。
これを聞いたモーセは激しく憤り、神様に「彼らの献げ物を顧みないで下さい。私は彼らからロバ一頭取り上げたこともなければ、苦しめたこともありません」と言いました。
翌朝、コラの仲間達とアロンは、臨済の幕屋の前で香炉を持って、神様の前に立ちます。
神様は民全体の前に現れました。そして、モーセとアロンに言いました。
「この共同体と分かれて立ちなさい。わたしは直ちに彼らを滅ぼす」
モーセとアロンが「民全体を滅ぼすのはやめて下さい」と取りなすと、神様は「コラ、ダタン、アビラムの住まいから離れるよう、共同体に告げなさい」と言われました。
モーセとイスラエルの長老達は、ダタンとアビラムのところに行き、近くにいた民達に言いました。
「この神に逆らう者どもの天幕から離れなさい。彼らの持ち物には一切触れてはならない。さもないと、彼らの罪のため、あなたたちは滅びる」
民達はコラ、ダタン、アビラムから離れます。
ダタンとアビラムが家族とともに天幕の入り口に立つと、モーセは言いました。
「これらのことは全て主が私を通してさせられたことで、私が自分勝手にしているのではない。それは次のことで分かるだろう。彼らがふつうの死に方をするなら、主が私を遣わしたわけではない。だがもし、主が新しいことを創始され、大地が口を開き、彼らと彼らに属する全ての者を飲み込み、彼らが生きたまま陰府に落ちるなら、この者達が主を蔑ろにしたことをあなたたちは知るだろう」
モーセが語り終えるや否や、彼らの足元の大地は裂け、彼らと彼らに属する者は、家、持ち物もろとも、生きたまま陰府に飲み込まれました。
また、神様の元から火が出て、香を献げた250人を焼き尽くしました。
感想
モーセが神様に選ばれて民を導いていることくらい、誰の目から見ても明らかなはずなのに、いざその状態に慣れてしまうと、盲目になってしまうんですかね?
モーセが神様に選ばれていることが気に入らなくて逆らうということは、モーセを選んだ神様が気に入らなくて逆らっていることに、彼らは気付かなかったのでしょうか?
自由や平等って、一見正義の言葉のようですが、それが神様に逆らうものとなっては、ちっとも正義ではないですね。
自由や平等が正義なのではなく、神様に従うことが正義なのだなと思いました。
神様を無視した自由や平等に、本当の自由などありません。幸せなどありません。
それはただの身勝手であり、分不相応な要求であり、その行く末は滅びです。
一見、どれだけ最もらしく正しく聞こえることでも、御言葉(みことば)と照らし合わせたらどうなのか?
考える必要があると思います。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!
次回は [ai] 民数記17章 香炉〜アロンの杖 についてお届けいたします。
お楽しみに!