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[ai] 最初の殉教者・ステファノから、肉に死ぬことの大切さを学ぶ

こんにちは^ ^

ペパーミントあいです。

2016年6月19日 草加神召教会リバーサイドチャペルの早朝礼拝に参加させていただきました。

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草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルの早朝礼拝

草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルは、東京スカイツリーライン 松原団地駅より徒歩5-10分ほどのところにある教会です。

早朝礼拝は毎週日曜日 7時から8時頃まで行われている礼拝です。

詳しくは下記教会HPをご確認いただければと思います。

=== リバーサイドチャペル 草加神召キリスト教会 ===

この日のメッセンジャー

この日早朝礼拝のメッセージは、里美和先生がして下さいました^ ^

元女子プロレスラーで、現在は当教会で伝道師をされている里先生です。

過去にこんなお話もして下さっています^ ^

最初の殉教者・ステファノ

キリスト教会の歴史においては、過去にたくさんの人がイエス・キリストを信じているがゆえに迫害されてきましたが、その最初の殉教者は、ステファノでした。

使徒言行録の6章の終わりから7章全体には、そのステファノが殉教に至るまでの出来事が描かれています。

里先生は、ここから今現在のわたしたちが受け取るべきメッセージは何なのか、お話して下さいました^ ^

ステファノは、使徒たちを補佐する役割の人だった

聖霊降臨(ペンテコステ)後、イエス様の弟子(使徒)たちは、聖霊を受ける以前とは別人のように大胆に宣教し、イエス・キリストの福音を伝えていきました。

結果、たくさんの人がイエス様を信じ、教会が出来ます。

でも、人が増えるとその分、問題も発生し、使徒たちは問題の対応に追われることになりました。

使徒たちが問題の対応に追われて、御言葉(みことば)を伝えることが出来なくなってしまうのは良くないので、知恵と霊に満たされた7人の人を選出し、問題の対応を任せることになります。

この時選ばれた7人の一人が、ステファノです。

ねたまれ、逮捕され、殉教する

ステファノはいつも聖霊に満たされ、素晴らしい恵みと力に満ち溢れた人でした。

ステファノが素晴らしいのを妬んで議論を吹っかけに来る人たちもいましたが、彼は霊によって語るので、太刀打ち出来ません。

口で論破出来ないと分かると、彼らは「この男はモーセの律法を蔑ろにしている!」と言ってステファノを陥れ、偽証人を立てた裁判にかけます。

そこで有罪判決を受け、石打ちの刑の処せられました。

でも、天使のように穏やかな顔をしていた

不当な裁判にかけられたり、石を投げられたステファノでしたが、その顔は終始「天使のようだった」と、聖書には書かれています。

怒りを向けられても、石を投げられでも、天におられるイエス・キリストを見上げ、「主よ、この罪を彼らに負わせないで下さい!」と叫びました。

不当な裁判にかけられたり、陥れた人たちのために「彼らをおゆるし下さい」とは、イエス・キリストが十字架に架けられた時ととてもよく似ています。

ステファノも人間ですから、石を投げられて痛くないわけがありません。

でも、目の前の人たちや問題に目を向けるのではなく、終始、神様を見上げていました。

それは、聖霊に満たされていたから出来たことに他なりません。

肉に死に、霊に生きていたから、肉体の痛みよりも、神様の御心を成そうとする聖霊の方が勝ったと考えることが出来ます。

日々、肉に死に、霊に生きること

わたしたちも、本物の石ではなくとも、人生において様々な攻撃にあうかもしれません。

イエス・キリストを信じているがゆえに、嫌な思いをすることもあるかもしれません。

でも、目の前の人たちや問題に目を向けるのではなく、全てを司っておられる神様に目を向けることが大切です。

ステファノもわたしたちと同じイエス・キリストを信じていました。

「わたしはイエス・キリストを信じているんだから、殉教なんて怖くないぞ!」と気軽に言う人は、ちょっと、自身の信仰を過信し、痛みや恐怖を侮っていると言わざるを得ません。

でも「殉教なんて絶対に無理!」と思っている人が、いざその時になったら、聖霊に満たされ、心がイエス様でいっぱいになって、肉体の痛みにも勝って出来てしまうこともあります。

今の日本も、ちょっと不穏な雰囲気になりつつあるので、今後、キリスト教会から殉教者が出ないとも限りません。

でも、殉教するかしないかは、自分で選ぶのではなく、神様が決められること。

神様の御心に沿って生きるためにも、日々肉に死に、霊に生きるようにすることが大切です。

感想

わたしはキリスト教家庭に育ったので、ステファノのお話は子供の頃から何度も聞いていました。

その他にも、偉大な殉教者のお話はたくさん聞かされて育ちました。

その度に「重い、無理」と思っていましたm(_ _)m

「イエス様を信じているならこれくらい出来て当然だ!お前もそうしろ!出来ないと思う奴は信仰が足りないからだ!信仰の足りない奴は裁かれるぞ!」と、責められ、追い詰められているような気持ちになったからです。

大人になり、自分の意思でクリスチャンになった今、改めてステファノのお話を聞くと、ステファノに憧れる気持ちもあるけれど、殉教に憧れることは出来ません。

美談とは、とても思えません。

でも、里先生のお話を聞いて、単に美談として語られているのではなく、肉に死に、霊に生きることの大切さが説かれているのだなと思いました。

肉に死に、霊に生きるようになりたいとは思います。

自分の心の平安のために。。。

以上、ペパーミントあいがお届けいたしました。

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