こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
9月6日 草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルの日曜メイン礼拝に参加してきました!
草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルのメイン礼拝
草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルは、東京スカイツリーライン 松原団地駅より徒歩5-10分ほどのところにある教会です。
メイン礼拝は毎週日曜日 11時から13時頃まで行われているメインの礼拝です。
詳しくは下記教会HPをご確認いただければと思います。
この日のメッセンジャー
この日のメッセージは、主任牧師の天野弘昌先生がして下さいました^o^
主の勝利の旗〜アドナイ・ニシ〜
今日の説教テーマは「アドナイ・ニシ」。主の勝利の旗、という意味になります。
関連する聖書の箇所は、こちら。
8 アマレクがレフィディムに来てイスラエルと戦ったとき、9 モーセはヨシュアに言った。「男子を選び出し、アマレクとの戦いに出陣させるがよい。明日、わたしは神の杖を手に持って、丘の頂に立つ」
10 ヨシュアは、モーセの命じたとおりに実行し、アマレクと戦った。モーセとアロン、そしてフルは丘の頂に登った。11 モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、手を下ろすと、アマレクが優勢になった。12 モーセの手が重くなったので、アロンとフルは石を持って来てモーセの下に置いた。モーセはその上に座り、アロンとフルはモーセの両側に立って、彼の手を支えた。その手は、日の沈むまで、しっかりと上げられていた。13 ヨシュアは、アマレクとその民を剣にかけて打ち破った。14 主はモーセに言われた。「このことを文書に書き記して記念とし、また、ヨシュアに読み聞かせよ。『わたしは、アマレクの記憶を天の下から完全にぬぐい去る』と」
15 モーセは祭壇を築いて、それを「主はわが旗」と名付けて、16 言った。
「彼らは主の御座に背いて手を上げた。主は代々アマレクと戦われる」(出エジプト記17章8-16節)
奇しくも、前日に個人的に読んだ箇所とかぶりました!
参照 : [ai] 出エジプト記17章 岩からほとばしる水〜アマレクとの戦い | ペパーミントパラダイス
この日は、上記の箇所を通して、悪口ばかり言っていると心がゴミ屋敷になること、わたしたちの内なるアマレクについて学びました。
アマレクについて
ここに出てくる“アマレク”とは、2つの意味があります。
- 民族としてのアマレク人
- 邪悪・不道徳・卑劣を象徴する言葉
まず、民族としてのアマレク人は、エサウの子孫と言われています。
イスラエル人はヤコブの子孫なので、ヤコブのお兄さんの子孫ということになりますね。
※エサウについて、詳しくは下記記事をご参照のこと。
- [ai] 創世記25章 ケトラによるアブラハムの子孫〜長子の特権
- [ai] 創世記27章 リベカの計略〜ヤコブの出発
- [ai] 創世記32章 エサウとの再会の準備〜ペヌエルでの格闘
- [ai] 創世記33章 エサウとの再会
- [ai] 創世記36章 エサウの子孫〜エドムの王国
元をたどれば親戚関係になるわけですが、残念ながら、ここでは敵対しています。
創世記を読むと、ヤコブはちょっとずる賢くて嫌な奴だけれど、神様への信仰はしっかり持っていた人。
一方エサウは、いい人なんだけれど、信仰の継承はされていかなかった人。
そのせいか、子孫のアマレク人は「邪悪・不道徳・卑劣」という言葉で表されるような民族になってしまいました。
まずこのことを通して、人は元々罪の性質を持って生まれているから、信仰がないと、どんどん悪に染まっていってしまうものなのだなと思います。
このイスラエル人とアマレク人の戦いは、単に戦争の記録としてだけでなく、わたしたちの霊的な戦いをも象徴しています。
人生は戦いの連続。クリスチャンとて例外ではない!
クリスチャンでもクリスチャンでなくても、安定志向の人はいると思います。
人生を何事もなく平穏に過ごしたい。
わたしも激しくそう思う人間です(苦笑)
そういう人は、クリスチャンになったあとに悪いことが起こると「何で神様を信じて救われたはずなのに、こんな目に遭わなければいけないんだ!」と思ってしまいます。
わたしもいつも思っています^^;
でも、残念ながら、この世は不完全。
もっと言えば、悪魔(サタン)の支配が及ぶ世界です。
なので、悪魔の力が働きます。
悪魔はわたしたちからいいものを奪って、神様から引き離そうとします。
よくよく聖書を振り返ってみて下さい。
まだ読んでいらっしゃらない方は、読んでみて下さい。
聖書に出てくる偉人たちで、神様に従ったから何事もなく平穏に人生を終えた人はいるでしょうか?
むしろ、神様に従ったがゆえに、神様に従わない人たちに虐げられ、苦しむことが多かったのではないでしょうか?
それでも信仰から離れることなく、信仰による勝利、神様による勝利を収めたから、この人達は「偉人」と呼ばれているのではないでしょうか?
そのことを、しっかり肝に銘じる必要があります。
その戦いには、意味がある
そして、これらサタンの支配による戦いには、意味があります。
この戦いに勝利して得られるものは、主への信頼と信仰の成長 です。
ここで、韓国から日本の輸入されるヒラメのお話をしたいと思います。
韓国から運ばれてきたヒラメは、たいてい、日本に着く頃には死んでしまうそうです。
研究の末、死因は“水槽の中が平和すぎること”であったことが分かりました。
そこで業者は知恵を絞り、ヒラメを運ぶ水槽に、あえて天敵のウナギを入れることにしました。
結果、ウナギから逃げ回ったヒラメは、元気な、イキのいい状態で日本に届くようになったとのこと。
1匹くらいはウナギに食べられてしまうようなのですが、平和だと死んでしまって、天敵がいると元気になるとは、不思議な話です。
でもこれは、ヒラメだけでなく、わたしたち人間にも言えることだったりします。
定年退職を迎え、新たな生きがいを見つけられない方は、老け込むスピードも早いのではないでしょうか?
人間は緊張感がないと、どんどん老けてしまいます。
わたしたちの信仰も、攻撃に合わないとどんどんダラけて、ダメになってしまうのです。
だから神様は、時として、わたしたちの信仰を鍛えるために、試練に遭わせられます。
クリスチャンと未信者の戦いの決定的な違い
人生においての戦いや試練は、クリスチャン、未信者に関わらず、誰にでも起こりうるものですよね。
いずれも悪魔の力が働いてのことなので、神様から引き離そうとするものには違いありません。
でも、決定的な違いは、クリスチャンの戦いは神様から与えられた試練で、その行き着く先は勝利!天国への凱旋であることです。
また、そのことをわたしたちが知っていることです。
そして神様は、耐えられない試練に遭わせられることはないし、試練とともに脱出の道も用意して下さっています!
このことはちゃんと聖書に書いてあります。
それを知っているだけでも、全然違いますよね!
不思議なことに、本当に、その人の信仰の度合いにあった試練が与えられるんですよね!(少なくとも、わたしの場合は)
神様を知らない未信者の場合は、神様を知らないがゆえに、ただ神様から引き離されて終わってしまう可能性が高いです。
その先は滅びです。
……ここからはわたしの個人的な意見ですが、未信者の戦いの行く末は滅びだと、天野先生はお話の中でおっしゃいました。
でもわたしは、本当は、そのことを通して助け主である神様に導かれるためのものだと思っています。
そういう人が神様を知らないまま終わらないように、先に救われたわたしたちクリスチャンが、もっと福音を語っていかないといけないと思いました。
最大のアマレクは、わたしたちの内側にいる!
最大のアマレクは、わたしたちの内側にいます。
アマレクは外から襲ってくることもあるけれど、もっとも怖いのは、自分の内側にいるアマレク(邪悪・不道徳・卑劣)です。
これは本当に恐ろしいことです。
自分の心の中で、神の民であるイスラエル人と、邪悪・不道徳・卑劣なアマレクが戦っているわけですからね!
ここでモーセのとった行動は、実に大事なことをわたしたちに伝えていると思います。
もう一度引用します。
11 モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、手を下ろすと、アマレクが優勢になった。12 モーセの手が重くなったので、アロンとフルは石を持って来てモーセの下に置いた。モーセはその上に座り、アロンとフルはモーセの両側に立って、彼の手を支えた。その手は、日の沈むまで、しっかりと上げられていた。13 ヨシュアは、アマレクとその民を剣にかけて打ち破った。
手を上げてお祈りすればイスラエルが優勢になり、手を下ろすと、アマレクが優勢になる。
疲れて手を上げていられなくなったら、座って、周りに支えてもらってでも、モーセは祈り続けました。
内なるアマレクも、祈らないとどんどん勢力を増してしまうのです。
でも祈れば、打ち破ることが出来ます!
このことからわたしは、
- 祈ることの大切さ
- 疲れてしんどくても祈ることの大切さ
- 一緒に祈ってくれる仲間の存在の大切さ
を、思わずにはいられません。
悪口ばかり言っていると、今に心がゴミ屋敷になる!
よく、「悪口言うわけじゃないんだけど、あの人嫌だよね」と悪口を言う人がいます。
……わたしも人の好き嫌いが激しい方なので、とても人のことは言えません。
悪口を言うことは、はっきり言って、戦いではありません。
ただ自分の心のゴミを人にぶつけて、スッキリした気になっているに過ぎません。
そんなことを続けていると、今に心がゴミ屋敷になります!
ゴミはゴミ箱に捨てないといけません。そして燃やさないといけません。
心のゴミを焼却するには、祈って、神様に全てを明け渡すことです。
そのことを、神様は願っておられます。
この世のことで一喜一憂する人は、価値観が神様中心に変えられていない証拠です。
……これ、個人的には永遠のテーマになるんじゃないかという気もしますが、祈って明け渡すことが出来るようになれば、きっと、問題ではなく真っ先に主を見上げることが出来るようになると思います!
3つの“あ”との戦い
最後に、そのお祈りを続けていく上で大事なポイントを。
- あきない
- あせらない
- あきらめない
祈っても、すぐに答えが得られないと、イライラしたり落ち込んでしまうかもしれません。
あるいは、もうどうでもいいやと投げやりな気持ちになってしまうかもしれません。
でもお祈りは、必ず神様に聞かれています。
ただその答えが「Yes」「No」「待ちなさい」のどれかであるだけ。
神様はわたしたちにとって、もっとも相応しい道を用意して下さっています!
だから答えが得られるまで、飽きず、焦らず、諦めずに祈り続けることが大切です。
まとめ
正直「悪口ばかり言っていると心がゴミ屋敷になる」と言われ、やべーわたしのことだ!と焦りました^^;
本当に、今まで悪口ばっかり言って生きてきたので。。。
そのことを反省し、神様の前に悔い改めたいと思います。
そして心のゴミを焼却してもらおうと思います。
祈って、内なるアマレクに勝利していきましょう!
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました。