こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
2016年1月24日 草加神召教会リバーサイドチャペルのメイン礼拝に参加させていただきました。
草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルのメイン礼拝
草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルは、東京スカイツリーライン 松原団地駅より徒歩5-10分ほどのところにある教会です。
メイン礼拝は毎週日曜日 11時から13時頃まで行われているメインの礼拝です。
詳しくは下記教会HPをご確認いただければと思います。
この日のメッセンジャー
主任牧師の天野弘昌先生がお話しして下さいました。
幸いな人生を過ごすために〜聖書的な原則は?〜
世の中には、色々な幸福論があります。
映画「男はつらいよ」の主人公・寅さんは「貧しくても暖かい家で団らんできることが幸せ」と言いました。
聖書辞典には「幸せは感覚で捉えるもので、理性で捉えようとする人は不幸」とあります。
イエス・キリストは、一度も自分を喜ばせたことはありません。
こう言うと、キリスト教をよく知らない方には「キリスト教って苦しむことが美徳、この世でひたすら苦しみ抜けば天国に行ける、って宗教なんだな」と誤解されてしまいますが、ここで言われている「喜び」は、肉的な快楽主義的な喜びのこと を指しています。
教会ではしばしば「肉的」「この世的」と「霊的」を対義語として用いることがありますが、これから語られる幸せは「霊的な」幸せのこと。
神様を知らない人は、肉的な喜び=幸せと思ってしまいますが、霊的な喜びはそれよりもはるかに大きなもの。
イエス・キリストは、表面的で一時的なこの世の幸せではなく、大きくて普遍的な霊的な喜びを求めた方と言えるでしょう。
その霊的な幸いについて、聖書ではこのように語られています。
3 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
4 悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。
5 柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。
6 義に飢え渇いている人は幸いです。その人は満ち足りるからです。
7 あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。
8 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。
9 平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。
10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
11 わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。
(マタイの福音書5章3-11節)
上記は、有名な山上の垂訓(山上の説教)の一部です。
幸せの定義は?
ここで、この世的な幸せと霊的な幸せについて、少し詳しく掘り下げていこうと思います。
①この世的な幸せ
この世的な幸せを指す言葉の代表格は、英語のHappy。
Happenの形容詞系で、「偶然、仕組み、歯車が噛み合う」という意味があります。
つまり、偶然様々ないいことが重なって味わえる幸せ であると言えるかと思います。
このような幸せは、ちょっとしたことでズレ、簡単に消えてなくなります。
②霊的な幸せ
霊的な幸せを表す言葉には、ギリシャ語の「マカルティー」というものがあります。
英語では「joyful」や「Blessed」と言い換えることが出来るでしょうか?
このマカルティーによる喜びは、時間や状況が変わっても不変の喜び。探しにいくものではなく、内側から湧き出るもの です。
マカルティーを知っているクリスチャン、マカルティーに満たされているクリスチャンは、幸いといえます!
霊的なというくらいですから、イエス・キリストの力なくして、マカルティーに満たされることはありえません。
山上の垂訓を紐解く
ではここで、さきほどの山上の垂訓の箇所を、詳しく紐解いていきましょう。
⑴心の貧しい者→心がへりくだり、謙虚で質素。対義語は驕り高ぶり、高慢。
⑵悲しむ者→「ペンセウ」=喪に服するという意味。悲しみの最も強い言葉。発狂するほどの悲しみ。慰めを拒むほどの悲しみ。
⑶柔和な人→D.ハーグナー : 圧政や搾取に歯向かえない。社会的弱者、絶望的立場の人々
⑷義に飢え渇く者→理不尽、不条理の中、義を叫ぶ人
⑸憐れみ深い者→宗教的意味 : 金、富、評判、生贄ではなく、混じり気のない、二心のない愛(憐れみ)
はっきり言って、どれもどん底ですね(^_^;)
この世の価値観では「不幸」と思われることばかりです。
これがどうして幸いなのでしょうか?
でも理由は、聖書に書かれている通りです。
神様は上記のような人達を放ってはおかれないのです!
今、イスラム圏では、急激にキリスト教徒が増えている
そのことを証明する、こんな事例があります。
今、イスラム圏では、急激にキリスト教徒が増えています。
ISの支配地域でも起きていることなのだそうです。
この地域で苦しんでいる方々の夢に、イエス・キリストが直接出てきて語りかけるのだそうです。語られた人は、それがすぐに主だと分かるとのこと。
この世の価値観では苦しんでいることには変わらないけれど、この人達の心は、マカルティーで満たされています。
当然、様々な弾圧や迫害はあります。
でも、心が神様の愛で満たされている人は、どんなに苦しくても、マカルティーで満たされているのです。
日本人はなぜ祈れないのか?
インドネシアでは、小さな子供たちですら、聖霊に満たされて、涙を流しながらお祈りします。
実際にその映像を見ましたが、心を打つものがありました。
でも日本のクリスチャンは、少しは祈っても、本当に祈りこむことが出来ません。
深刻な状況と言えます。
「先に救われているクリスチャンとして、自分の生活がそれに相応しいか考えてほしい」と、天野先生は言われました。
「この年に主のリバイバルが起こるように」とも。。。
それなりに豊かに生活している日本人にとって何が大事か?
では、今のところは戦争も貧困もない日本のクリスチャンは、どうすればいいのでしょうか?
戦争や貧困に苦しむ国にならないと、救われないのでしょうか?
そんなことはありません。そうならなくても救われる方法は、あります。
それは、以下のことを最優先にすることです。
「神の国とその義をまず第一に求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて与えられます」
このことを怠り、先に救われたクリスチャンが神の国と神の義を求めなければ、神様はこの国を、戦争と貧困に苦しむようになさるかもしれない。
私には、そのように思えてなりません。
罪が熟して死に至る!
一方、アメリカはキリスト教国ではありますが、退廃しています。
本当の意味でのキリスト教国とは、言えません。
アメリカ人は、偶像崇拝はしないけれど、呪(まじな)いや肉体的快楽などに陥りやすいです。
その罪の行き着く先は死です。
罪が熟すると死に至ります。
死とは、永遠の滅びです。
でも、一部ではまだ、熱心な牧師さんたちが頑張っているから、支えられています。
今いるクリスチャンが変わらない限り、この国は変わらない
今いるクリスチャンが変わらない限り、この国は変わりません。
自分が救われただけで安心してはいけません。
伝道して、自分の家族や友人も救われるよう、働くべきです。
直接的な伝道が難しければ、まずは、祈ることです。
祈ることで、道が示されます。
道が示されたら、それに従って下さい。
「クリスチャンの義務だから仕方なく祈る」のではなく「神の国とその義とを求めて」「この国が神の義に満たされた神の国になれるよう」心から求めて祈って下さい。
今いるクリスチャンが全てそんな祈りが出来るようになれば、この国は変わるはずです。
以上、ペパーミントあいがお届けいましました!