[ai] 創世記48章 ヤコブ、ヨセフの子らを祝福する | ペパーミントパラダイス

[ai] 創世記48章 ヤコブ、ヨセフの子らを祝福する

こんにちは^ ^

ペパーミントあいです。

今日は創世記48章を読みました。

創世記48章

[ai] 創世記47章 ファラオとの会見〜ヤコブの遺言の続きです。

本章には

  • ヤコブ、ヨセフの子らを祝福する
  • ※サブタイトルは新共同訳聖書より

について書かれていました。

以下は、受洗9ヶ月目のわたしが本章を読んだ感想です。

解釈には注釈、解説書、教会で得た知識等を総動員させていただいておりますが、聖書について詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^

ヤコブ、ヨセフの子らを祝福する

その後、ヤコブの容態が悪化し、いよいよ死期が近づいてきました。

ヨセフは息子のマナセとエフライムを連れて、見舞いに行きます。

ヤコブはヨセフとその息子たちが訪ねてくると、力を奮い起こして寝台の上に座りました。

ここでヤコブは、マナセとエフライムを自分の養子にし、二人に祝福を授けました。

ここで言われている祝福とは、世間一般的な祝福の意味ではなく、アブラハム、イサク、ヤコブと代々続いた大いなる国民としての特別な祝福のことを指します。

少し前の章で、長子の権利はユダにあると聞いた気がするのですが、祝福はヨセフの息子に授けられるのは変な気がします。

でも、この先の歴代誌には、長子の権利はルベンからヨセフの息子に移ったと明記されているとのこと。(該当の箇所はまだ読んでいないので、詳しくは後日)

イエス・キリストへの系図はユダから続いていくのですが、ヤコブの祝福はヨセフの息子のエフライムとマナセに授けられました。

この時、ヤコブは右手を次男のエフライムの頭の上に、左手を長男のマナセの上に置いて祝福したとのこと。

本来、右手は長男の頭に乗せられるべきものなのですが、ヤコブは弟の方が兄よりも大きくなると預言し、エフライムをマナセの上としました。

イシュマエルとイサク、ヤコブとエサウの時と状況が似ています。

でも違うのは、こちらではどちらか片方だけではなく、両方に祝福が授けられたことです。

よって、長子の権利はエフライムのものとなりました。

最後にヤコブは言いました。

「間もなくわたしは死ぬ。だが、神がお前たちとともにいて下さり、きっとお前たちを先祖の国に導き、帰らせて下さる。わたしはお前に兄弟たちよりも多く、わたしが剣と弓をもってアモリ人の手から取った一つの分け前(シェケム)を与えることにする」

この預言はやがて成就します。

イスラエル人は次の出エジプト記でエジプトを出、シェケムはのちにマナセのものとなり、ヨセフはそこに埋葬されることになります。

感想

わたしが本章を読んで個人的に注目したのは、以下の箇所です。

イスラエルはヨセフに言った。
「お前の顔さえ見ることができようとは思わなかったのに、なんと、神はお前の子供たちをも見せて下さった」
(創世記48章11節)

ヤコブにとっては、まさに大逆転の奇跡ですよね!

今こうして聖書を読んでいるわたしたちは、ヨセフが兄弟たちに売られる経緯、その後どのような人生を歩んだのか全部知っているけれど、ヤコブは息子の身に何が起こったのか知りません。

血の付いた晴れ着の切れ端を見て、獣に裂き殺されたと、ずーっと思っていました。

それが20年近く経って、実は生きていたことが判明し、再び会うことが出来るとは、夢にも思わなかったことでしょう!

さらにその子供の顔まで見れるとは!

わたしにとっての大逆転

わたしにとっての大逆転は、たまたま色々なきっかけが重なって好きになった芸能人の関義哉君が牧師さんの息子で、興味本位で教会を訪問し、そこからあれよと言う間に主に導かれたことです。

キリスト教というものに対して疑問、拒否感を持ち続けていたわたしがこんなきっかけで信じることになるとは、夢にも思っていませんでした。

人生には得てしてそのような大逆転があるものとは思いますが、これらの出来事は決して、自分の努力でもただの偶然でもなく、神様のご計画、ご介入があってのことと、今なら胸を張って言えます。

以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!

次回は [ai] 創世記49章 ヤコブの祝福〜ヤコブの死 についてお届けいたします。

お楽しみに!

スポンサーリンク







[ai] 創世記48章 ヤコブ、ヨセフの子らを祝福する
この記事をお届けした
ペパーミントパラダイスの最新ニュース情報を、
いいねしてチェックしよう!

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク