こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日は創世記44章を読みました。

創世記44章
[ai] 創世記43章 再びエジプトへの続きです。
本章には
- 銀の杯
- ユダの嘆願
※サブタイトルは新共同訳聖書より
について書かれていました。
以下は、受洗9ヶ月目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には注釈、解説書、教会で得た知識等を総動員させていただいておりますが、聖書について詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
銀の杯
兄弟たちと酒宴を楽しんだヨセフは、翌朝、兄たちに対して最後の試みを行います。
ベニヤミンの荷物にヨセフの銀の杯を仕込み、それを発見された兄たちが弟に対してどのような対応を取るのか見ようというのです。
そこでベニヤミンを見捨てるのか、信じて最後まで庇うのか。
その時のユダの反応は、こうでした。
「ご主君に何と申し開きが出来ましょう。今更どう言えば、わたしどもの身の証を立てることが出来ましょう。神が僕どもの罪を暴かれたのです。杯が見つかった者と共に、ご主君の奴隷になります」
言い訳一つせず、一緒に連帯責任を取ると言いました。
ここで言われている「僕どもの罪」とは、銀の杯のことではなく、過去にヨセフを売り飛ばしたことのことを指していると思われます。
その罰を受けたのだと、ユダも他の兄たちも考えたのでしょう。
ヨセフは言いました。
「そんなことは全く考えていない。ただ、杯を見つけられた者だけが、わたしの奴隷になればよい。ほかのお前たちは皆、安心して父親のもとへ帰るがよい」
上記は新共同訳聖書の引用なので、原文ではどのようになっているのかは分かりません。
でも「杯を奪った者」ではなく「見つけられた者」という言い方をしているところに、ヨセフもユダも、ベニヤミンを疑っていないところがにじみ出ていますね。
それでも「お前たちは帰っていいよ」というのは、兄たちにとっては心揺らぐ言葉だったと思います。
奴隷になるか父の元に帰るかでは、その後の人生は雲泥の差ですからね。
ユダの嘆願
「お前たちは安心して父親のもとへ帰るがよい」というヨセフに、ユダが嘆願します。
父ヤコブが本当に本当にベニヤミンを可愛がっていること、かつてとても大事にしていたヨセフの分も可愛がっていること、この子の何かあったら死んでしまうんじゃないかと思うほど大事にしていること。
それでも、ヨセフへの誠意のために説得して連れてきたこと、必ず無事に連れて帰ると約束したこと。
だから、自分が代わりに奴隷になるから、彼は他の兄弟たちと一緒に父の元に帰してほしい。
そんなような内容のことが、聖書の上下丸々二段分、書かれていました。
感想
かつてはヨセフが父の寵愛を一身に受けていることを妬み、奴隷商人に売り飛ばした兄たちでしたが、エラい変わりようです!
聖書ではユダが代表として書かれていますが、他の兄弟たちも同様であったと思います。
(裏切り者がいれば、「◯◯だけはその場から逃げた」とか、書かれているでしょうからねww)
ヨセフを失った時の父の尋常でない嘆きようを見て、「何てことをしてしまったんだ」と悔やんだものと思われますが、きっと神様の介入もあったと思います。
どんなに悲しんでいる人を目にしようが、何とも思わない冷酷な人だっていますからね。
ヨセフ物語前半のユダは、ヨセフをイシュマエル人に売り飛ばすことを提案したり、嫁のタマルに手を出したりして、ダメっぽい人でしたが、後半ではヤコブを説得したり、ベニヤミンを庇ったり、めちゃめちゃ頼りになるいい人ですね!
このユダの執り成し、自己犠牲、身代わりの精神は、イエス・キリストの十字架に通じるものがあるのではないでしょうか?
事実、このユダの子孫から、イエス・キリストは生まれてくることになります。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!
次回は [ai] 創世記45章 ヨセフ、身を明かす のついてお届けいたします。
お楽しみに!