こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日は創世記40章を読みました。

創世記40章
[ai] 創世記39章 ヨセフとポティファルの妻の続きです。
本章には
- 夢を解くヨセフ
について書かれていました。
以下は、受洗8ヶ月目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には注釈、解説書、教会で得た知識等を総動員させていただいておりますが、聖書について詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
夢を解くヨセフ
ポティファルの妻に陥れられ、監獄送りになったヨセフ。
でも神様が共におられたので、監守長に信頼され、監獄の管理を任されるようになりました。
そんな時、ファラオの給仕役の長と調理役の長が過ちを犯し、ヨセフのいる監獄に送られてきました。
幾日かのち、2人はそれぞれ夢を見ますが、その夢を解き明かしてくれる人がいないので、塞ぎ込んでいました。
「今日はどうしてそんなに憂鬱な顔をしているのですか?」
ヨセフが尋ねると
「我々は夢を見たのだが、それを解き明かしてくれる人がいない」
「解き明かしは神のなさることではありませんか。わたしに話してみて下さい」
当時のエジプトでは、夢に預言的な価値を認め、夢を解析する専門家がたくさんいましたが、囚人の彼らにはそれをお願いすることが出来ませんでした。
でも、ヨセフは夢の解き明かしは神様がなさることと考えていました。
神様の力で、ヨセフは見事、2人の夢を解き明かします。
ヨセフの解き明かした通り、給仕役の長は3日後に無罪放免になり、調理役の長は処刑されました。
ヨセフは給仕役の長に「職務に復帰したらわたしにためにファラオに取り計らってほしい」とお願いしましたが、彼は職務に戻ると、ヨセフのことなどすっかり忘れてしまいました。
感想
ヨセフには予知夢を見たり、夢解きの才能があったようです。
もちろん、それは神様の与えてくれたものなのですが、注目すべきは、聖書に書かれているヨセフの言動の端々。
「今日はどうして憂鬱な顔をしているのですか?」
とは、普段から相手のことを見ていないとかけられない言葉ですよね。
そして、長かったので上記に引用はしていませんが、給仕役の長にファラオに取り計らってもらうようお願いする時も「兄弟に罠にはめられて売られた」とか「主人の妻に陥れられた」とは言わず「無理やり連れて来られた」「牢屋に入れられるようなことは何もしていない」と、誰に陥れられたのか、陥れた相手を責めるようなことは一言も言っていないんですよね!
自分の個人的な感情でいっぱいにならず、神様に従って歩んでいる人の言動だと思います。
わたしたちは理不尽な目にあったら、つい相手を恨んだり、相手への怒りで心がいっぱいになってしまいますが、わたしたちがそんな状態になることを、神様はお喜びにはなりません。
むしろ、怒りや恨みといった感情は自分を苦しめることになるので、悲しまれます。
相手への復讐、裁きは、神様がなさること。
裁きは神様に任せて、わたしたちはヨセフのように、ただ神様の前に正しく歩むことを心がけるべきではないでしょうか。
なかなか難しいですが、そう出来るようにお祈りしたいと思います。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!
次回は [ai] 創世記41章 ファラオの夢を解く〜ヨセフの支配 についてお届けいたします。
お楽しみに!