[ai] 創世記35章 再びベテルへ〜イサクの死 | ペパーミントパラダイス

[ai] 創世記35章 再びベテルへ〜イサクの死

こんにちは^ ^

ペパーミントあいです。

今日は創世記35章を読みました。

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創世記35章

[ai] 創世記34章 シケムでの出来事 の続きです。

本章には

  • 再びベテルへ
  • ラケルの死
  • ヤコブの息子たち
  • イサクの死
  • ※サブタイトルは新共同訳聖書より

について書かれていました。

以下は、受洗8ヶ月目のわたしが本章を読んだ感想です。

解釈には注釈、解説書、教会で得た知識を総動員させていただいておりますが、聖書についてお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^

再びベテルへ

シケムで娘のディナが悪者にレイプされ、それに逆上した兄たちが虐殺行為を行い、窮地に立たされたヤコブに、神様は言いました。

「さあ、ベテルに上り、そこに住むなさい。そしてその地に、あなたが兄エサウを避けて逃げて行っとき、あなたに現れた神のために祭壇を作りなさい」

※ベテルでの出来事については、下記記事をご参照のこと

[ai] 創世記28章 ヤコブの出発〜ヤコブの夢 | ペパーミントパラダイス

ヤコブは、家族や一緒にいる全ての人々に言いました。

「お前たちが身に着けている外国の神々を取り去り、身を清めて衣服を着替えなさい。これからベテルに上ろう。わたしはその地に、苦難の時わたしに答え、旅の間わたしと共にいて下さった神のために祭壇を作る」

人々は、持っていた異教の神々やそれにまつわる耳飾りをヤコブに渡したので、ヤコブはそれらをシケムの近くにある樫の木の下に埋めました。

ヤコブ一同はシケムを出発。
神様が周囲の町々を恐れさせたので、ヤコブの息子たちを追跡する人はいませんでした。

ヤコブはベテルに着くと、約束通り、祭壇を築きました。

ヤコブはその場所を「エル・ベテル」と名付けました。

リベカの乳母デボラが亡くなったので、ベテルの下手にある樫の木の下に葬られました。
その場所は「アロン・バクト(嘆きの樫の木)」と呼ばれるようになりました。

※なぜここで唐突にデボラが出てきたのかは分かりませんが、ヤコブと同行していた可能性があります。

ヤコブがベテルに戻ると、神様は再びヤコブの前に現れ、祝福されました。

神様がヤコブの前を離れて上って行かれると、ヤコブはその場所に記念碑を立て、ぶどう酒と油を注ぎました。

ぶどう酒は神様への捧げ物、油は聖別のためのものとのことです。

ラケルの死

ベテルを出発し、故郷のイサクの元へ戻る途中の道で、ラケルが難産の末、男の子を産みました。

ラケルはその子を「ベン・オニ(わたしの苦しみの子)」と名付けましたが、ヤコブは「ベニヤミン(幸の子)」と呼びました。

※「ベニヤミン」は正確には「右手の子」という意味になるのですが、右が「名誉・幸運・卓越性」を表すため、新共同訳聖書では「幸いの子」と訳されているようです。

ラケルはエフラタ(のちのベツレヘム、イエス・キリストの生まれた場所)へ向かう道の傍らに葬られ、ヤコブはその場所に記念碑を立てました。

これは現在でも残っているとのこと。

ヤコブは更に旅を続け、ミグダル・エデルという場所を過ぎたところに天幕を張りました。

そこに滞在中、ヤコブの長男のルベンはヤコブの側女のビルハと関係を持ちます。

このことがヤコブの耳に入ったため、ルベンは長子の権利を失いました。

ヤコブの息子たち

ヤコブの息子たちについて書かれていました。

ヤコブの息子は全部で12人。

    レアの息子

  • ルベン
  • シメオン
  • レビ
  • ユダ
  • イサカル
  • ゼブルン
    ラケルの息子

  • ヨセフ
  • ベニヤミン
    ラケルの召使いビルハの息子

  • ダン
  • ナフタリ
    レアの召使いジルパの息子

  • ガド
  • アシェル

イサクの死

ヤコブはヘブロンのマムレにいる父イサクのところへ行きました。

イサクが160歳くらいの時ではないかと考えられています。

イサクは高齢のうちに満ち足りて息を引き取り、先祖の列に加えられました。
イサクの生涯は180年でした。

息子のエサウとヤコブがイサクを葬りました。

感想

ベテルはヤコブが初めて神様が共にいて下さることを身をもって知った場所でした。

その場所に戻りなさい、とは、信仰から知らず知らずのうちに離れてしまっていたヤコブに、初心に帰るように言われたのかな、と考えるのが、自然ではないかと思います。

初めて神様が共にいて下さっていることを実感した瞬間、わたしはちょっと思い出せないのですが、気が付いたら実感していました^^;

わたしにヤコブのような劇的なドラマはありません(苦笑)

でも、信仰を語るのにドラマは必要ありません。

あった方が説得力を感じていい場合もあるでしょうが、そういう話(証し)ばかりだと、逆に聞く方は「信仰に目覚める人って、よっぽど類稀な体験をする人だけなんだな」と思われたりして、「凡人のわたしには関係ないや」と思われてしまい、遠く感じられてしまう場合もあると思います。

聞いた話ですが、わたしの知っている教会で洗礼を受けた方の中には、受洗前、受洗したい気持ちはあるものの、これといって物凄い困難を救われた経験があるわけでもない自分が気軽に受けていいものかと悩んだ方もいらしたみたいです。

自分では凡人だと思っている人でも、困難にあうことは絶対にあるし、神様が必要なことには変わりません。

そういう方にこそ、神様を信じてほしいです。

以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!

次回は [ai] 創世記36章 エサウの子孫〜エドムの王国 についてお届けいたします。

お楽しみに!

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