こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日は創世記34章を読みました。

創世記34章
[ai] 創世記33章 エサウとの再会 の続きです。
本章には
- シケムでの出来事
※サブタイトルは新共同訳聖書より
について書いてありました。
以下は、受洗8ヶ月目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には聖書の注釈、解説書、これまでに得た知識を総動員させていただいておりますが、聖書についてお知りになりたい方は、ぜひお近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
シケムでの出来事
ヤコブの娘のディナが、その土地の娘たちに会おうと出かけたところ、ヒビ人の首長ハモルの息子シケムが彼女を見かけて捕らえ、共に寝て辱めました。
シケムはディナに心を奪われたので、父ハモルに「この娘と結婚させて下さい」と願い出ました。
シケムとハモルはヤコブのところへ出向き、そのことを願い出ます。
「姻戚関係を結んで、この土地を自由の使って下さい。あなたがたの娘さんをわたしどもに嫁がせ、わたしどもの娘をあなたがたの嫁にして下さい。一つの一族となりましょう」
ヤコブの息子たちは、彼らを騙してこう答えました。
「割礼を受けていない男に、妹を妻として与えることは出来ません。あなたたちの男性が皆割礼を受けるなら、同意しましょう」
これを聞いたハモルとシケムは、それなら安いものだと、快諾。
町の人たちに説明し、この町の主だった男性は皆、割礼を受けました。
それから三日後。彼らの割礼の傷が痛み出した頃、ヤコブの息子のシメオンとレビは、町に侵入して男たちを虐殺。
ハモルとシケムも殺害し、シケムの家からディナを取り戻すと、町中から略奪。
女性と子供は全て捕虜として捕らえました。
「困ったことをしてくれたものだ。わたしはこの土地に住むカナン人の憎まれ者になり、のけ者になってしまった。こちらは少人数なのだから、彼らが集まって攻撃してきたら、わたしも家族も滅ぼされてしまうではないか」
ヤコブがこう言うと、シメオンとレビは言い返しました。
「わたしたちの妹が娼婦のように扱われても構わないのですか」
解釈と感想
もう、いろいろと開いた口が塞がらない章ですよね^^;
まず、ハモルとシケムはレイプしたのに謝らず、何事もなかったかのように「ディナを嫁に下さい」なんて言うし、
レビとシメオンはやり過ぎだしm(_ _)m
ヤコブも「何も殺すことはないじゃないか!」ではなく「わたしが憎まれ者になってしまったではないか!」ですもんね。。。
前の前の章で神様の前に砕かれた心を持ったというのに、自分本位なずる賢いところは健在です。
この章を読んで思うのは、性犯罪とか報復攻撃って、今に始まったことじゃないんですよね。
人類史上、遥か昔から繰り返されている愚行です。
いつまで経ってもなくならないんだもん、そう簡単に無くすことも出来ないんだろうな、と思います。
あってはならないことだけど。
でも、こうも思うのです。
ディナは出かける前に出かけていいか祈るべきだった、
シメオンとレビはカッとなって復讐する前に、神様の前にその赦せない気持ちを告白して、託宣を仰ぐべきだった、
ヤコブはそうすることを子供達に教えるべきだった。
神様を間に挟むこと、介入していただくことを怠ったから起こった悲劇なんじゃないかと思うのです。
人には出来なくても、神に出来ないことはない。
戦争も性犯罪も、神様の手にかかれば無くすことが出来ると、信じています。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました。
次回は [ai] 創世記35章 再びベテルへ〜イサクの死 についてお届けいたします。
お楽しみに!