こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日は創世記28章を読みました。

創世記28章
[ai] 創世記27章 リベカの計略〜ヤコブの出発 の続きです。
本章には
- ヤコブの出発(27章続き)
- エサウの別の妻
- ヤコブの夢
※サブタイトルは新共同訳聖書より
について書かれていました。
以下は、受洗8ヶ月目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には聖書の注釈、解説書、教会で得た知識を総動員させていただいておりますが、聖書の教えについて詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
ヤコブの出発
イサクはヤコブを呼び、祝福して言いました。
「お前はカナンの娘の中から妻を迎えてはいけない。ここをたってパダン・アラムのベトエルおじいさんのところへ行き、ラバン伯父さんの娘の中から結婚相手を見つけなさい」
カナン人の娘から妻を迎えてはいけないことは、アブラハムがイサクの妻探しをする時にも神様から命じられたことでした。
ヤコブはイサクに送り出され、パダン・アラムへ旅立ちます。
ラバンはヤコブの伯父、リベカのお兄さんです。
※下記の章でイサクの結婚のいきさつが紹介されています。
エサウの別の妻
エサウは、妻探しのためにヤコブがパダン・アラムへ旅立ったことを知りました。
イサクが「カナンの娘の中から妻を迎えてはならない」と命じていたことで、自身がめとったカナン人の妻たちが父に嫌われていることに初めて気付きました。
……気付くの遅いですよね^^;
エサウはイサクの異母兄イシュマエルのところに行き、イシュマエルの娘のマハラトをもう一人の妻として迎えました。
このことに関して、注釈には「悔い改めを行わず、欠陥を除くために次から次へと何かを足していく安易なやり方が問題」と指摘されていました。
しょうもない例えだけど分かりやすく言い換えると「体臭がきついのを解決するために、お風呂に入らず香水の香りでごまかす」といったところでしょうか^^;
いくらアブラハムの代からカナン人の娘を妻としてはいけないと言われていたとはいえ、それ自体がそんなに悪いことなのか?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
でも、そもそも何で妻にしてはいけないのか、理由を考えると、カナン人は異教の神(偶像)を礼拝してしまっていることが大きいものと考えられます。
イサクとリベカがエサウの妻たちに頭を悩ませたのも、文化や生活習慣の違いといったものだけでなく、一族の中に偶像を持ち込んでしまったことが大きいのではないでしょうか。
旧約聖書のその後の列王記では、初めは神様に従って歩んで栄えていたソロモン王が、外国人の妻を迎えたことで異教の神を礼拝するようになり転落する、ということが起こります。
ソロモンも神様から「外国人の妻をめとるな」と言われていました。
そのことが神様から心を離れさせ、偶像崇拝の罪に導くことを、神様はご存知だったのですね。
なので、ここでエサウがすべきだったことは、カナン人の妻たちが持ち込んだ偶像崇拝の習慣を神様の前に悔い改め、その習慣をなくすことだったのではないかと思います。
アブラハムの血縁から妻を迎えることではなかったのです。
ヤコブの夢
ヤコブがべエル・シェバを旅立ち、ハランへ向かう途中。
日が沈んだので、その場で石を枕に野宿することにしました。
すると、天まで届くはしごを天使たちが上り下りしている夢を見ました。
その様子を眺めていると、傍に神様が現れて、言われます。
「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない」
ヤコブは眠りから覚めると、恐れおののいてこう言いました。
「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった」
ヤコブは翌朝早く起きて、枕にしていた石をその場に記念碑として立てると、その場所を「ベテル(神の家)」と名付けました。
ヤコブはまた、このように誓いました。
「神がわたしと共におられ、わたしが歩むこの旅路を守り、食べ物、着る物を与え、無事に父の家に帰らせてくださり、主がわたしの神となられるなら、わたしが記念碑として立てたこの石を神の家とし、すべて、あなたがわたしに与えられるものの十分の一をささげます」
この誓いが、今日の「十分の一献金」の由来となっています。
感想
なかばエサウの復讐から逃げるように故郷を旅立ったヤコブ。
不安でいっぱいだったろうと思います。
そんなヤコブに、神様は現れ、以下の7つのことを約束されました。
- ヤコブが今いる場所を、彼と子孫に与える。
- 子孫は地のちりのように多くなる。
- 全ての民族が彼と子孫によって祝福される。
- 主は彼と共におられる。
- 彼がどこに行っても彼を守ってこの地に連れ帰る。
- 彼を決して捨てない。
- 彼に約束したことは必ず成し遂げる。
これらは何かに対する見返りではなく、全て神様の一方的な恵みです。
ヤコブみたいにズルして祝福横取りするようなヤツが一方的な神様の恵みを受けるんかい、と思われる方も多いかと思います。
でも、裏を返せば、どんなに意地汚くて腹黒くて罪深い人間でも恵みにあずかることが出来る、という意味にも取ることが出来るのではないでしょうか?
聖人君主のような人にならないと祝福して下さらない神様では、恵みにあずかることが出来るのか、不安でいっぱいではないでしょうか?
この時神様がヤコブに語りかけたことによって、ヤコブは本当の意味で、神様が共におられること、そして神様を恐れることを知りました。
恐らく幼少期から、ヤコブは神様が偉大な方であること、神様を畏れ、礼拝するようにと両親から教えられてきたと思います。
でも、ここでヤコブは「知らなかった」と言っているので、本当の意味で神様を理解してはいなかったものと思います。
神様は知識で理解するものではなく、心で知るものなのです。
いくら言葉では説明出来なくても、科学的に証明することは出来なくても、心が神様を受け入れた以上、神様はいるのです。
「存在を確信している」なんてレベルの話ではなく、空気があるのと同じように、クリスチャンにとっては、いるのが当たり前の感覚なんです。
そう考えると、神様がヤコブを祝福の血統に選ばれたことにも、意味があったのではないかという気がしてきますね。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!
次回は [ai] 創世記29章 ラバンの家に着く〜ヤコブの子供 についてお届けいたします。
お楽しみに!