こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日は創世記27章を読みました。

創世記27章
[ai] 創世記26章 イサクのゲラル滞在〜エサウの妻の続きです。
本章には
- リベカの計略
- 祝福をだまし取るヤコブ
- 悔しがるエサウ
- 逃亡の勧め
- ヤコブの出発(28章へ続く)
※サブタイトルは新共同訳聖書より
について書かれていました。
以下は、受洗8ヶ月目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には聖書の注釈、解説書、教会で得た知識などを総動員させていただいておりますが、詳しく聖書の教えをお知りになりたい方は、お近くに教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
リベカの計略
年をとったイサクは、目が霞んでほとんど見えなくなっていました。
イサクは、長男のエサウに言いました。
「わたしはいつ死ぬか分からない。野に行き、獲物を取ってきて、わたしの好きなおいしい料理を作ってここへ持ってきてほしい。死ぬ前にそれを食べて、わたし自身の祝福をお前に与えたい」
そう言っていた割には、イサクはその後数十年生きるのですが、この時は健康状態が思わしくなく、いつ死ぬか分からなかったようです。
ここで言われている「祝福」とは、イサクが父アブラハムから受け継いだ祝福で、アブラハムの家督を継ぐこと、そして、神様がアブラハムに約束された、約束の地を受け継ぐ祝福のことを指します。
ヤコブとエサウが生まれる時、神様は「兄が弟に仕えるようになる」 と告げていたし、[ai] 創世記25章 ケトラによるアブラハムの子孫〜長子の特権で、エサウがヤコブに長子の権利を売ったことも、イサクは知っていました。
なのでこの家督を継ぐ祝福は、本来ヤコブに与えないといけなかったのですが、イサクはエサウを贔屓していたため、エサウに渡そうと考えました。
エサウが野に出掛けると、話を盗み聞きしていた妻のリベカが、弟ヤコブを呼んで言いました。
「家畜の群れからよく肥えた子山羊を二匹取ってきなさい。わたしがそれでお父さんの好きなおいしい料理を作りますから、それをお父さんのところへ持っていきなさい。お父さんはあなたを祝福して下さるでしょう」
要するに、イサクの目が見えないのをいいことに、飼っている山羊を「野で狩った獲物だ」と偽り、ヤコブがエサウになりすまして祝福を横取りしよう、ということです。
最低ですね^^;
リベカには、本来祝福はヤコブが受けるべきものだから、という使命感もあったようですが、それにしてもやり方が悪どいですm(_ _)m
ヤコブは言いました。
「でも兄さんはとても毛深いのに、わたしの肌はなめらかです。お父さんがわたしに触れれば、騙そうとしているのが分かります。そうしたら、わたしは逆に呪いを受けてしまいます」
この発言にも、「そんな、お父さんを騙すなんて!」とか「お兄さんから奪い取るなんて!」という罪悪感はなく、自分が呪いを受けるのが嫌だという保身しか感じないですよね。。。
リベカはヤコブにエサウの晴れ着を着せ、子山羊の毛皮を肌のなめらかな部分に巻きつけて、自分が作ったおいしい料理とパンをヤコブに持たせました。
祝福をだまし取るヤコブ
ヤコブは母リベカに言われた通り、エサウになりすまして父イサクの元へ行きました。
イサクははじめ、現れたのが本当にエサウなのか疑っていましたが、肌に触れると毛深く、晴れ着からエサウの匂いがしたので、エサウだと信じ、祝福を授けます。
悔しがるエサウ
ヤコブがイサクから祝福を受けて立ち去ると、入れ替わりようにエサウが戻ってきました。
彼もまた、野で狩った獲物でおいしい料理を作ってやってきました。
ここでイサクは、さきほど現れたのはヤコブであったことに気付きます!
同時に、神様がヤコブに家督を継がせると宣言された以上、ヤコブ以外の者に祝福を与えることは許されなかったのだと悟りました。
エサウは「祝福は一つしかないのですか。わたしも祝福して下さい」と声をあげて泣きましたが、イサクは言いました。
「ああ
地の産み出す豊かなものから遠く離れた所
この後お前はそこに住む
天の露からも遠く隔てられて。
お前は剣に頼って生きていく。
しかしお前は弟に仕える。
いつの日かお前は反抗を企て
自分の首から軛(くびき) を振り落とす」
ずいぶん酷な予言ですが、実際、エサウの子孫のエドム人は、農耕に適さない痩せた土地に住み、戦ばかりすることになります。
そして、ヤコブの子孫のイスラエル人の支配下に置かれます。
一時は支配から逃れ、エドム人の王様がイスラエル人を支配する時期もあるようですが、本当の意味での解放にはならなかったようです。
逃亡の勧め
エサウは祝福を奪い取られたことで、ヤコブを憎むようになりました。
……まあ、当然ですよね^^;
そして、心の中で「父が亡くなったらヤコブを殺してやろう」と思うようになりました。
エサウがそう考えていることがリベカの耳に入ると、リベカはヤコブを呼び、リベカの兄のラバンのところに身を潜めるように勧めました。
ヤコブの出発
リベカはイサクに言いました。
「わたしは、ヘト人の娘たちのことで、生きているのが嫌になりました。もしヤコブまでも、この土地の娘の中からあんなヘト人の娘をめとったら、わたしは生きているかいがありません」
ヤコブに自身の故郷から嫁探しをさせる、という名目で、ラバンの元へ出発させるのですが、続きは28章にて。
リベカがエサウに祝福を与えたくなかったのは、エサウの奥さんが嫌だから、というのもあったものと思われます。
感想
何かもう、いろいろひどいですよね^^;
「ヤコブのような奴が何で祝福されるんだ!?神はそんなひどいことを許すお方なのか!?」と思う人がいても、おかしくないと思います。
ていうか、わたしも思います!笑
これをなぜ神様が許されたのかと問われたら、「神様には人知では語り尽くせないご計画があるから」という魔法のワードを使って答えるよりほか、ありませんm(_ _)m
わたしも以前は、何か納得のいかないことを牧師の父にぶつけると「神様には人知を超えた存在だから、人間には理解出来ないだけだ」という魔法のワードでのらりくらりと交わされることに、何度イライラモヤモヤしたか知れません。
今では自分がこの魔法のワードを使うようになっていることが、本当に不思議です。
とはいえ、神様はヤコブにアブラハムの祝福を継がせることを望んでおられたので、リベカの計略が遂行されることを許されましたが、悪どいやり方を取ったことのしっぺ返しは、後々になって表れます。
リベカが当初考えていたように、ヤコブがほんのしばらくのあいだラバンの元に身を潜めていればエサウの怒りが収まってすぐに戻って来れるかと言ったらそうはいかなかったし、
ヤコブはその後、エサウの復讐に怯え続けることになります。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました。
次回は [ai] 創世記28章 ヤコブの出発〜ヤコブの夢 についてお届けいたします。
お楽しみに!