こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日は創世記19章を読みました。

創世記19章
[ai] 創世記18章 イサクの誕生の予告とソドムのための執り成しの続きです。
本章には
- ソドムの滅亡
- ロトの娘たち
について書かれていました。
以下は、受洗7ヶ月目のわたしが本章を読んだ解釈と感想です。
解釈には解説書、注釈付き聖書の注釈、教会の説教等で得た知識を参考にさせていただいております。
より詳しくお知りになりたい方は、ぜひともお近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
ソドムの滅亡
アブラハムの元で食事を終えた主(神)の二人の使いは、その日の夕方、ソドムの町の着きました。
ロトが町の門のところに座っていると、この二人の御使いが見えたので、ロトは二人を自分の家に迎え、もてなしました。
すると、町の男たちがこぞってロトの家に押しかけ、取り囲みます。
「今夜お前のところに来た連中はどこにいる。ここへ連れてこい。なぶりものにしてやるから」
この箇所、わたしがメインで読んでいる新共同訳聖書では「なぶりものにしてやる」という訳になっていますが、新改訳聖書では「彼らをよく知りたいのだ」 となっており、この「知りたい」は、「性的な意味で知りたい」 という意味になるのだそうです。
ようするに、ホモセックス。
ソドムが罪の町と言われる所以は、そこにもあったようです。
同性愛=罪、という話になると、LGVTの方々への差別、ということになってしまうので、不愉快に感じる方も多いと思うし、わたし自身も首を傾げる場面ではあるのですが、聖書には「男色は罪」という記述もあるので、そのような解釈になってくるのかなと思います。
もっとも、この記述に関しては「同性愛=罪という意味ではないのではないか?」という取り方をしている牧師さんもいるので、解釈は分かれるところです。
少し話はそれましたが、同性愛が罪かどうかの議論を置いておいても、いきなりやってきて「やらせろ」というのは、ふつうに考えてあり得ないですよね。
ロトは戸口のところに出て行き、戸を閉めて言いました。
「どうかあの人達に乱暴なことはしないで下さい。わたしにはまだ嫁がせていない娘が二人おります。皆さんに娘たちを差し出しますから、好きなようにして下さい。でもあの人達には何もしないで下さい」
……これもどうなんだ、という話ですが、男たちは聞く耳を持ちません。
男たちが強引に戸を破ろうとしたので、二人の御使いはロトを家の中に引き入れて戸を閉めました。男たちには目潰しを食らわせて、戸口を分からなくさせました。
二人の御使いはロトに言いました。
「他にあなたの身内はこの町にいますか。あなたの婿や息子や娘などを連れてここから逃げなさい。実はわたしたちはこの町を滅ぼしに来たのです」
ロトは嫁いだ娘たちの婿のところに行き、逃げるように促しましたが、婿たちは冗談だと思って聞く耳を持ちません。
……さきほどは「まだ嫁いでいない娘」と話していたのに、あれ?という感じですよね^^;
注釈によると「娘たちがまだロトの家にいることから、これから嫁ぐ予定と思われる」とのこと。
夜が明ける頃、御使いたちはロトに早く逃げるように促します。
しかし、ロトもためらっていたので、神は彼らを憐れみ、二人の御使いにロトと妻、二人の娘の手を取って町の外へ避難させました。
ためらっているあたりに、ロトも神を信じきれていないところが伺えます。
神はロトに言われました。
「命懸けで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる」
ロトは神に言いました。
「主よ、出来ません。山まで逃げる前に災害に巻き込まれて死んでしまうでしょう。あの小さな町に逃げさせて下さい。あそこなら近いので逃げて行けると思います」
神はロトに言われました。
「よろしい。あなたの願いを聞き入れ、あの町は滅ぼさないことにしよう。急いで逃げなさい。あなたがあの町に着くまでは、わたしは何も行わないから」
ここで「主よ、出来ません」とあっさり言ってしまうあたりにも、ロトが神を信じきれていないところが表れていますよね。
それでも神様は寛大にも、ロトの願いを聞きれて下さいました。
その後、その小さな町は「ツォアル(小さい)」と呼ばれるようになりました。
太陽が地上に昇り、ロトがツォアルに着くと、主はソドムとゴモラの上に天から硫黄の火を降らせ、これらの町と低地一帯を滅ぼされました。
ロトの妻は振り返ったので、塩の柱になってしまいました。
その日、朝早く起きたアブラハムは、前の章で神と対面した場所へ行き、ソドムとゴモラ及び周辺の低地一帯を見下ろしました。
炉の煙のように、地面から煙が立ち上っていました。
神様はソドムとゴモラを滅ぼされましたが、アブラハムを御心に留めていたので、ロトを破滅のただ中から救い出されました。
聖書の記述のされ方から、ロト自身が正しい人だったから救われたのではなく、アブラハムが正しい人だったから、そのアブラハムの願いを聞き入れてロトを救った、と解釈した方が良さそうです。
ロトの娘たち
その後、ロトはツォアルに住むことも恐れたので、ツォアルを出て、山の中に洞穴を掘って娘たちとひっそりと暮らしていました。
娘たちは、このままずっと山に中にこもっていては子供を産むことが出来ないと、父をぶどう酒で酔わせ、酔ってへべれけになっている間に寝て、子供を作ります。
姉は男の子を産み、「モアブ(父親より)」と名付けました。
妹も男の子を産み、「ベン・アミ(わたしの肉親の子)」と名付けます。
モアブはモアブ人の先祖、ベン・アミはアンモン人の先祖とのこと。
……現代人の感覚からしたら、激しくドン引きですよね^^;
昔の人は「女は子供を産んでなんぼ」という価値観が強かっただろうし、自分の子孫を残すことに対する責任感やプライドも大きかったでしょうけれど、お父さん酔わせて作るくらいなら、洞穴出て町へ繰り出すわ、と思います。
その上、その事実をまんま子供の名前に付けるのも、理解出来ませんm(_ _)m
注釈を読んでみると、さすがにこれが当時のイスラエル人にとってふつうのことでもなかった模様。
娘たちがこのような行動に出たのも、ひとえに、罪の町ソドムに暮らしていたから、悪い感覚に染まってしまったのではないかと思います。
注釈にもそう書かれていましたが、わたしもそう思いました。
まとめ
ホモは出てくるわ、近親相姦は出てくるわ、塩の柱にはなるわで、エグい章でしたね^^;
聖書って崇高な教えばかり書いてあるイメージをお持ちの方も多いかと思いますが、案外、そうでもないです(苦笑)
でも、この章からも学とれることはたくさんあります。
ロトは悪い人間では決してないけれど、罪の町に長くいたことで神を信じきれなくなってしまったこと。
ロト自身が神から義と認められていなくても、義と認められているアブラハムが願ったことで救われたこと。
罪の町での生活や残してきた物に未練のあったロトの妻は、それゆえに神の言いつけを守れず、塩の柱になってしまったこと。
教訓になっていることはたくさんあるはずなので、祈ったり何度も読み返したり、時には牧師さんやクリスチャンの先輩の方々に聞いて、学んでいきたいですね。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました。
次回は [ai] 創世記20章 ゲラル滞在 についてお届けいたします。
お楽しみに!