こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日は創世記17章を読みました。

創世記17章 契約と割礼
[ai] 創世記16章 ハガルの逃亡と出産の続きです。
イシュマエルが13歳になった時、再び神様はアブラムの前に現われ、言われました。
「全能の神であるわたしに従い、全き者となりなさい」
また、[ai] 創世記15章 神の約束でされた「子孫を増やす」「アブラムと子孫にカナンの全土を与える」ことを再び告げられると、
「これからは『アブラム』ではなく『アブラハム』と名乗りなさい。妻のサライは『サラ』と名乗りなさい」
とお命じになりました。
アブラムは「高貴なる父」という意味ですが、アブラハムは「大いなる国民の父」という意味になります。
そして、サラに男の子が生まれることを告げると、
「あなたの家に生まれた男子は、奴隷も含め全員割礼(包皮を切り落とす儀式)を受けるように」
と命じられます。
アブラハムは神様にひれ伏しますが、この時すでに99歳。
内心「100歳の男に子供が生まれるだろうか。90歳のサラに子供が産めるだろうか」と疑っていたので
「イシュマエルが御前に生きながらえますように」
と答えました。
けれど神様は、
「イシュマエルのことも祝福するが、契約はあなたとサラの間に生まれる男の子との間に立てる。その子を『イサク』と名付けなさい」
と明言。
神様が語り終え、天に昇っていかれると、アブラハムはすぐに、息子のイシュマエルをはじめ、奴隷も含めた家の男子を全員集め、割礼を受けました。
※解釈は注釈付き聖書の注釈、解説書を参考にさせていただいております。聖書について詳しくお知りになりたい方は、ぜひお近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
感想
以後は、受洗7ヶ月目のわたしが、本章を読んで感じた感想です。
アブラハムが本当に子供が出来るのか疑ってしまうのは、無理もないと思います。
イシュマエルが生まれてから13年間も子供は出来ず、その間にどんどん年を取ってしまったわけですからね。
それこそ、創世記の初期の人達は千年近く生きていて、100歳を超えてもバリバリ子供をもうけていますが、ノアの箱舟以降、人間の寿命は100歳前後まで縮まり、現代とそう変わらなくなりました。
※ノアの箱舟については、下記記事をご参照のこと。
ふつうに考えて、100歳のおじいさんに子供が出来るとは思えません。
でも、神様は不可能を可能に変えることの出来るお方。
このあと、アブラハムとサラの間には、イサクという息子が生まれます。
「子供が生まれる」というお告げに関しては疑ってしまったアブラハムでしたが、「割礼を受けなさい」という命令には、すぐに従いました。
聖書には「その日のうちに」とあるので、本当にすぐだったんですね!
やはり信仰の祖。神様への従い度合いはハンパないです。
すぐに実行するのは、現代でも「成功者の秘訣」と言われること。
見習いたいですね。
以上が、わたくしペパーミントあいが個人的に感じた感想です。
次回は [ai] 創世記18章 イサクの誕生の予告とソドムのための執り成し についてお届けいたします。
お楽しみに!