こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日は創世記12章を読みました。

創世記12章
本章には
- アブラムの召命
- エジプト滞在
について書かれていました。
以下は、受洗7ヶ月目の私が本章を読んだ感想です。
聖書について知りたい、キリスト教に興味があるという方は、ぜひお近くの教会へ行って、牧師先生に詳しく聞いてみて下さいね^ ^
アブラムの召命
あらすじ
神様から
「生まれ故郷を離れ、わたしの示す地に行きなさい。そうすればあなたを大いなる国民にし、祝福する」
と言われたアブラム(のちのアブラハム)は、言われた通り、故郷であるハランを出発し、カナンという所に向かいました。
その時、その場所にはすでにカナン人が住んでいましたが、神様は
「あなたの子孫にこの土地を与える」
と約束されました。
アブラムはそこに神様のための祭壇を築きました。
だいぶ要約させていただきましたが、この段落に書かれていることは、こんな感じでございます。
いきなり「わたしの示す場所に行きなさい」と言われて、はい分かりましたと旅立つのって、相当勇気のいることですよね。
見知らぬ土地では何が起こるか分からないし、不安も相当あったと思います。
また、子孫と言われても、アブラムの奥さんのサライは「不妊の女」だったとのこと。
どうやって子孫を残すんだ?という不安もあったかと思います。
でもアブラムは、神様を信用していたので、素直に言うことを聞くことが出来ました。
神様は約束を必ず守って下さる方、そして全能のお方です。
その神様が「祝福する」とおっしゃっているのだから、間違いないだろうと信じる信仰心が、アブラムにはありました。
実際、それから何百年も先の新約聖書の時代には、多くのイスラエル人が「私たちはアブラハムの子孫だ!」と自慢気に言う場面がたくさんあります。
神様は約束通り、子孫をたくさん増やして下さり、またアブラム(アブラハム)を大いなる国民として下さいました。
ゆえに、アブラハムは今も「信仰の祖」と呼ばれているのでしょうね。
エジプト滞在
あらすじ
アブラムはさらに旅を続け、カナンからネゲブ地方まで向かいました。
注釈によると、これは神様に示されたのではなく、自分の意思で移動したとのこと。
そのネゲブ地方で飢饉が起こったので、アブラムはエジプトに行きました。
これも、自分の意思での旅だったそうです。
ここでアブラムは、奥さんのサライに「私の妹だと名乗ってくれ」と頼みました。
サライがきれいな人だったので、サライを狙うエジプト人に殺されると恐れたからです。
すると案の定なのか、サライはエジプトのファラオに気に入られ、宮廷に召し入れられました。
でもそのことが神様の逆鱗の触れ、ファラオと宮廷の人達は病気になってしまいました。
災いの原因がサライだと分かり、ファラオがアブラムに「あなたの妻を連れて立ち去ってくれ」と命じたので、アブラムはエジプトを立ち去りました。
当時のエジプト人は、よっぽど気性が荒かったのでしょうか?(笑)
奥さんがきれいだからって、旦那さんを殺してまで手に入れるなんて、現代ではドラマの中の話ですよね^^;
でもアブラムが恐れたということは、現実にあり得る話だったのでしょうね。
とはいえ、それでサライがファラオの宮廷に召し入れられることが、神様の御心に叶うはずもありません。
そのことでファラオと宮廷の人達に災いが起こりました。
嘘をついた側のアブラムではなく、騙された方のエジプト人が痛い目に遭う、というのは、少々理不尽な気もしますが、聖書の注釈には「主のアブラムへの憐れみのゆえ」とありました。
神様のお考えになることというのは、時として人間の頭では理解不能なことが多いので、そこはあまり深く考えない方がいいのかもしれません。
まとめ
章の前半では、全てを神様に委ねて先の見えない旅に出る、という素晴らしい信仰心を持ちながら、後半では、神よりも人を恐れて奥さんを妹だと偽ったアブラム。
信仰の祖と呼ばれるほどの人でも、やはりそこは、人間なんですね。
こういう二面性って、誰しもが持ち合わせているものなのではないでしょうか。
クリスチャン歴の長い人や牧師先生でも、立派な一面がある一方で、物凄くダメダメな一面があったりするものです。
だから、人ではなく、神様に重きを置き、依存は全て神様に向けないといけません。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!
次回は [ai] 創世記13章 ロトとの別れ についてお届けいたします。
お楽しみに!