こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日は出エジプト記8章を読みました。
出エジプト記8章
[ai] 出エジプト記7章 アロンの役割〜蛙の災い の続きです。
本章には
- 蛙の災い(7章続き、1-11節)
- ぶよの災い(12-15節)
- あぶの災い(16-28節)
※サブタイトルは新共同訳聖書より
について書かれていました。
以下は、受洗9ヶ月目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には注釈、解説書、教会で得た知識等を総動員させていただいておりますが、聖書について詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
蛙の災い(7章続き、1-11節)
ナイル川の水を血に変えても、ファラオはイスラエルの民をエジプトから去らせません。
なので神様は、次はエジプト中に蛙を大量発生させました。
ファラオの魔術師たちも同様に蛙を発生させることに成功しましたが、前回の血の災いと同様、引っ込めることは出来ません。
各民家の中、ファラオの王宮の中まで蛙が襲ってきたものだから、たまらずファラオはモーセとアロンを呼んで言いました。
「主に祈願して、蛙がわたしとわたしの民の元から退くようにしてもらいたい。そうすれば、イスラエルの民を去らせ、主に犠牲をささげさせよう」
モーセは言いました。
「あなたのお望みの時を言って下さい。いつでもあなたとあなたの家臣と民のために祈願して、蛙をあなたとあなたの家から断ち、ナイル川以外には残らないようにしましょう」
ファラオは「明日」と答えたので、モーセはそのように神様に祈りました。
結果、王宮や民家に侵入した蛙は死に絶えました。
人々が大量の蛙の死骸を幾山にも積んだものだから、国中が悪臭で満ち溢れました。
[ai] 出エジプト記5章 ファラオとの交渉 では「主など知らない」と言っていたファラオが「主に祈願してくれ」とお願いするようになったのは、進歩ですよね!
でも残念ながら、喉元過ぎれば熱さ忘れる、で、蛙がいなくなると、ファラオは約束を守りませんでした。
また、モーセにいつ蛙を去らせればいいか聞かれた時、今すぐとは言わず「明日」と答えているあたりにも、神様を認めていない節が感じられます。
俺はイスラエルの神なんかに負けないぞ、自分で何とかしてやる、でも出来なかったら助けてね、という虫の良さを感じます。
ぶよの災い(12-15節)
ファラオがまたも約束を反故にしたので、神様はモーセに言いました。
「アロンに言いなさい。『杖を差し伸べて土の塵を打ち、ぶよにさせてエジプト全土に及ぼせ』と」
彼らが言われた通りにすると、土の塵がぶよとなってエジプト中の人々と家畜を襲いました。
ファラオの魔術師も同様のことを行おうと試みましたが、出来ませんでした。
魔術師はファラオに「これは神の指の働きでございます」と言いましたが、ファラオは言うことを聞きませんでした。
※わたしの読んでいる新共同訳や新改訳の聖書では「ぶよ」と訳されていますが、別の訳の聖書では「はえ」や「いぬばえ」と訳されているそうです。
ここで「ぶよ」と訳されているものが実際は何であったのかは、よく分かりません。
ちなみに、このぶよの災いは、これまでのようにファラオへの事前予告はありません。
ファラオはモーセとの約束を反故にしたのだから、このような罰を受けてもやむなし、と思います。
あぶの災い(16-28節)
神様は、モーセにファラオへの事前予告をさせた上で、今度はあぶを大量発生させました。
あぶはファラオの王宮や民家にも入り込み、畑の作物も荒らし、エジプト中が荒れ果てます。
でも神様は、イスラエル人の住んでいるゴシェンの地は区別され、そこにはあぶを入り込ませませんでした。
ファラオはモーセとアロンを呼んで、
「行って、あなたたちの神にこの国の中で犠牲をささげるがよい」
と言いました。
神様は「荒れ野で仕えさせよ」とおっしゃっているのに、エジプトの国内でやれと言うのは、言わば妥協案です。
神様に対してこれで妥協してくれよ、とは、何とも虫のいい話ですね。
モーセは答えました。
「そうすうことは出来ません。我々の神、主にささげる犠牲は、エジプト人のいとうものです。もし、彼らの前でエジプト人のいとうものをささげれば、我々を石で撃ち殺すのではありませんか?我々の神、主に犠牲をささげるには、神が命じられたように、三日の道のりの荒れ野に入らなければなりません」
ファラオは言いました。
「よし、わたしはあなたたちを去らせる。荒れ野であなたたちの神、主に犠牲をささげるがよい。ただし、あまり遠くへ行ってはならない。わたしのためにも祈願してくれ」
神様は三日の道のりの荒れ野とおっしゃっているのに、あまり遠くへ行ってはならない、とは、これも妥協案な気がしますが、モーセは答えます。
「では、あなたの元から退出しましたら、早速主に祈願しましょう。明日になれば、あぶはファラオとその家臣と民の間から飛び去るでしょう。ただ、二度と民を去らせないなどと言って、我々を欺かないで下さい」
モーセが言葉通り神様に祈願し、あぶはエジプトから去りました。
しかし、ファラオはまたも、約束を守りませんでした。
※ここでモーセが言っている「エジプト人のいとうもの」とは、羊や牛の生贄のことを指します。
当時のエジプト人は羊や牛をモチーフにした偶像を拝んでいたので、これを生贄にしてささげるという行為は、エジプト人にとっては耐えがたいものであったと考えられます。
感想
ファラオ、最低ですねm(_ _)m
そして神様に向かって妥協案とは、半分神様を認めざるをえないところまで追い込まれつつも、認めたくない節が伺えます。
こんな王様の下に生まれてしまったエジプトの民は、たまったものじゃないですね~_~;
もちろん、これらの災いはファラオに対してだけではなく、偶像崇拝やイスラエル人に対して酷いことをしたエジプト人への裁きも含まれているのでしょうが……
でも、真の神様を礼拝しているイスラエルの民を、神様は区別され、災いに遭わなくさせました。
周りはどエライことになっていても、主を信じている人だけは平穏なのです。
わたしたちも真の神様だけを信じ、いつもどんな時も、平安で満たされていたいものです。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!
次回は [ai] 出エジプト記9章 疫病の災い〜雹の災い についてお届けいたします。
お楽しみに!