こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日は出エジプト記6章を読みました。
出エジプト記6章
[ai] 出エジプト記5章 ファラオとの交渉の続きです。
本章には
- ファラオとの交渉(5章続き、1節)
- モーセの使命(2-13節)
- モーセとアロンの系図(14-27節)
- アロンの役割(28-30節、7章に続く)
※サブタイトルは新共同訳聖書より
以下は、受洗9ヶ月目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には注釈、解説書、教会で得た知識等を総動員させていただいておりますが、聖書について詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
ファラオとの交渉(5章続き、1節)
モーセが神様の召令を受けて、ファラオにイスラエルの民を去らせてくれるよう頼んだところ、気を悪くしたファラオはイスラエル人にもっときつい労働条件を課してきました。
そのせいで、同胞のイスラエル人までモーセとアロンをなじる始末。
モーセがそのことを神様にぶちまけると、神様は言いました。
「今にあなたは、わたしがファラオにすることを見るだろう。わたしの強い手によって、ファラオは彼らを去らせる。わたしの強い手によって、ついに彼らを追い出すようになる」
だったら早くそうしてくれよ、と思うのですが……そういうわけにはいかないようです(^◇^;)
モーセの使命(2-13節)
続けて、神様はモーセの言われました。
「わたしは主である。わたしはアブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主というわたしの名を知らせなかった。イスラエルの人々に言いなさい。わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う。そして、わたしはあなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる。こうしてあなたたちは、わたしが主であることを知るようになる。わたしはアブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓った土地にあなたたちを導き入れ、その地をあなたたちの所有として与える。わたしは主である」
モーセはこのことをイスラエルの民に告げましたが、彼らは重労働にすっかり気を落としてしまい、聞く耳を持ちませんでした。
神様は再びモーセに言いました。
「ファラオの元に行って、イスラエルの民を去らせるように交渉しなさい」
モーセは言いました。
「ご覧の通り、イスラエルの人々でさえわたしの話を聞こうとしないのに、どうしてファラオが口下手なわたしの言うことを聞くでしょう」
モーセとアロンの系図(14-27節)
ここで、ストーリーの途中で唐突にモーセとアロンの系図の説明が入ります。
イスラエル(ヤコブ)から始まっていますが、イスラエルの長男ルベン、次男シメオンの簡単な系図と、三男レビの系図が説明されています。
レビの孫アムラムがモーセとアロンの父親、
レビの娘でアムラムの叔母にあたるヨケベトが、モーセとアロンの母親。
つまりモーセとアロンは、レビの曾孫にあたります。
モーセとアロンがレビの家系の生まれなためか、レビの家系の説明が詳しく書かれていました。
アロンの役割(28-30節、7章に続く)
ここで、聖書は再びストーリーに戻ります。
神様がモーセに言われました。
「わたしは主である。わたしがあなたたちに語ることをすべて、エジプトの王ファラオに語りなさい」
モーセは神様に言いました。
「ご覧の通り、わたしは口下手です。どうしてファラオがわたしの言うことを聞き入れましょう」
……ほぼ、家系図に入る前のハイライトですね(苦笑)
感想
前の章からあまり話は進んでいないように思えます。
が、ここで神様が「わたしは主である」と明言されたところが、この章のポイントになっているようです。
「主」という言葉を、わたしたちクリスチャンは当たり前のように神様を指す言葉として用いますが、ノンクリスチャンの方には意味がさっぱりだと思います。
と、いうか、わたしも実のところ、あまり意味はよく分かっていません^^;
でも、洗礼を受ける前はあまり「主」と自然に言うことは出来なかったけれど、受洗後は「主の御名を賛美します」といったことが自然に心から出てくるようになったので、三位一体の神様を「主」と認め、崇めることに意味があるように思えます。
「主(しゅ)」って「主(あるじ)」ですもんね。
神様を自分の主(あるじ)として仕え、信頼する、ということなのでしょうか?
すみません、実はよく分かっていないのに「主が」とか「主よ」といつも言っています^^;
多分だけど、そういう人、たくさんいると思います(苦笑)
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!
次回は [ai] 出エジプト記7章 アロンの役割〜蛙の災い についてお届けいたします。
お楽しみに!