こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日は出エジプト記40章を読みました。
出エジプト記40章
[ai] 出エジプト記39章 アロンの祭服〜幕屋建設の準備完了 の続きです。
本章には
- 幕屋建設の命令(1-33節)
- 主の栄光(34-38節)
※サブタイトルは新共同訳聖書より
について書かれていました。
出エジプト記も、いよいよ、最終章です!
以下は、受洗1年目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には注釈、解説書、教会で得た知識等を総動員させていただいておりますが、聖書について詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
幕屋建設の命令(1-33節)
神様が「第一の月の一日に臨済の幕屋を建てなさい」とモーセに命令し、その通りになされたことが書かれています。
臨済の幕屋は、[ai] 出エジプト記33章 民の嘆き〜主の栄光 にも登場しています。
なので、時系列が前後しているのでしょうか?
ちょっとよく分かりませんm(._.)m
主の栄光(34-38節)
雲が臨済の幕屋を覆い、主の栄光が満ちた、と書かれています。
主の栄光が満ちているあいだ、モーセは幕屋に入ることが出来なかったそうです。
この時、イスラエルの民は、まだ移動中。
雲が幕屋を離れて登った時にそれに続いて移動し、雲が幕屋にとどまって登らない時は、離れて登るまで出発しなかったとのこと。
今が進むべき時かそうでない時かは、神様が教えて下さることを意味しています。
まとめ
昨日の祈祷会のメッセージ([ai] 舟から出よう!出て行って、全世界の人を弟子にすることが主の願いである。)を聞いて、正直、ずっしりと重い気持ちになったわたし。
理由は、外に出て伝道なんかしたくないからです。
人に宗教の話を切り出すのは、とても勇気のいることです。
いくら教会内部の人が「この福音は宗教ではない!本当の神様と人間の交わりであり、真実なんだ!」と声高に叫んだところで、教会外の人にとっては、キリスト教という一宗教にはちがいありません。
人それぞれ、異なった宗教観を持っています。
わたしがいくら「イエス様は素晴らしい!」と思っていても、それを上手く言葉に表す自信はありません。
「伝道は言葉ではない!」と言われたら、それもそうなのですが、心から伝えたいという気持ちより、やらなきゃいけないと言われたから仕方なくやる、という気持ちの方が格段に強い以上、言葉以上の魂のこもった何かを伝えることも出来ないんじゃないかと思いました。
追い詰められた気持ちで仕方なくやったところで、ブラック企業の営業にしかならないと思います。
今は伝道するより、もっと神様と一対一の関係を築くことに重点を置いた方がいいんじゃないかと思うのです。
いつか、雲の柱が幕屋を離れて登ってGoサインを出してくれるまで、わたしはもっと神様のことを知り、神様の与えて下さっている恵みや喜びを知ることが出来るよう、神様と向き合う時間を持ちたいと思います。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!
次回は [ai] レビ記1章 焼き尽くす献げ物 についてお届けいたします。
次回からいよいよ、レビ記に突入です!
お楽しみに!