こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日は出エジプト記2章を読みました。
出エジプト記2章
[ai] 出エジプト記1章 エジプトでのイスラエル人〜モーセの生い立ちの続きです。
本章には
- モーセの生い立ち(1章続き、1-10節)
- エジプトからの逃亡(11-25節)
について書かれていました。
以下は、受洗9ヶ月目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には注釈、解説書、教会で得た知識等を総動員させていただいておりますが、聖書について詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
モーセの生い立ち(1章続き、1-10節)
イスラエル人の数が増えることを恐れたエジプトのファラオは、イスラエル人に過酷な労役を課すばかりでなく、生まれた男の子をナイル川に投げ込むよう命じました。
そんな時、レビの家の男が同じくレビ族の娘と結婚し、男の子が生まれます。
彼女は生まれた子供があまりにも可愛かったので、ナイル川に投げ込むなんて出来ず、3ヶ月間、手元に隠していました。
が、隠しきれなくなってきたので、パピルスの籠を用意し、それをアスファルトとピッチで防水し、その中に子供を入れ、ナイル河畔の葦の茂みの間に置きました。
その子のお姉さんが陰から様子を見ていると、そこにファラオの王女が水浴びしにやってきました。
王女は葦の茂みに籠があるのを見つけます。
その籠を取ってこさせると、中に男の赤ん坊がいて、泣いていました。
王女はその子がイスラエル人の子供だと分かり、不憫に思いました。
そこに、すかさず陰で見ていたお姉さんが飛び出し、言いました。
「その子に乳を飲ませるイスラエル人の乳母を呼んで参りましょうか」
王女が「そうしておくれ」と頼んだので、お姉さんはさっそく、お母さんを連れてきました。
「この子を連れて行って、わたしに代わって乳を飲ませておやり。手当はわたしが出しますから」
王女がこう言ったので、お母さんは赤ん坊を連れて帰って育て、大きくなると王女の元へ連れて行きました。
こうして、その子は王女の子となり、「モーセ(引き上げる)」と名付けられました。
エジプトからの逃亡(11-25節)
モーセが成人すると、同胞のイスラエル人たちがエジプト人から重労働を課せられているのを見ました。
そして、一人のエジプト人がイスラエル人の一人に暴力を振るっているのを見つけると、周りに誰もいないのを確認し、そのエジプト人を殺して砂に埋めました。
次の日、また出て行くと、今度はイスラエル人同士が殴り合いの喧嘩をしています。
モーセは止めて、悪い方に「どうして自分の仲間を殴るのか!?」と言うと、彼は「誰がお前を我々の監督や裁判官にしたんだ!お前はあのエジプト人を殺したようにわたしも殺すつもりか!?」と逆ギレ。
あのことがバレたと恐れたモーセは、早々にエジプトからの逃走。
まもなくファラオにもバレ、ファラオはモーセを捕まえて殺そうと追っ手をさせ向けますが、それを逃れたモーセは、北西アフリカのミディアン地方にたどり着きました。
※ミディアンはアブラハムの後妻ケトラの子供です。
モーセが井戸の傍に腰を下ろしていると、ミディアンの祭司の娘たちが、水を汲みにやってきました。
7人の娘たちが水ぶねを満たし、父の羊たちに水を飲ませようとすると、羊飼いの男たちがやってきて娘たちを追い払いました。(水を横取りしようとしたのでしょうか?)
モーセは立ち上がって娘たちを助け、羊に水を飲ませてやりました。
娘たちが父レウエルのところに帰ると、父は
「どうしてこんなにはやく帰ってこれたのだ?」
と尋ねます。娘たちは答えます。
「一人のエジプト人が羊飼いの男たちからわたしたちを助け出し、わたしたちのために水を汲んで、羊たちに飲ませて下さいました」
このやり取りから、羊飼いの男たちが妨害してくるのは日常茶飯事だったようです。
レウエルが「その方をお呼びして食事をさし上げなさい」と言ったので、モーセはこの家に呼ばれ、この人の元にとどまることにしました。
モーセがレウエルのところにとどまる決意をしたので、彼は娘のツィポラをモーセと結婚させ、やがて男の子が生まれます。
モーセはその子を「ゲルショム(わたしは異国にいる寄留者)」と名付けました。
それから長い年月が経ち、モーセが脱走した時のエジプト王は亡くなりましたが、イスラエル人の苦役は続きます。
その嘆きの声が神様に届き、神様は、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされ、イスラエルの人々のことを顧みられました。
アブラハム、イサク、ヤコブ、レビ、ケトラのついて
アブラハム、イサク、ヤコブ、レビ、ケトラ等は全て前章の創世記の登場人物です。
当ブログにも下記記事にて登場しておりますので、気になる方はご参照いただければと思います!
10章以降に登場しております。
感想
のちに神様から召令を受けて、イスラエルの民をエジプトから救い出すことになるモーセですが、この章では、人間的な思いだけでカッとなってエジプト人を殺す短絡的な場面が描かれています。
そのようなやり方では、一時的にその殴られていたイスラエル人は助かったかもしれませんが、エジプト人はその一人だけではないことに気付くことになり、根本的な解決にはなりませんでした。
またそのような力づくなやり方では、神様からも同胞のイスラエル人からも受け入れられることはありませんでした。
どんなに腹が立っても赦せなくても、裁きは神様が下すもの。
相手を裁くことは神様にお任せし、怒りは神様に委ねて、わたしたちはただ、神様の御心を求め、御心に沿って歩むことだけを考えていきたいですね。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!
次回は [ai] 出エジプト記3章 モーセの召令 についてお届けいたします。
お楽しみに!