こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
2016年7月10日 草加神召教会リバーサイドチャペルの早朝礼拝に参加させていただきました。
草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルの早朝礼拝
草加神召キリスト教会リバーサイドチャペルは、東京スカイツリーライン 松原団地駅より徒歩5-10分ほどのところにある教会です。
早朝礼拝は毎週日曜日 7時から8時頃まで行われている礼拝です。
詳しくは下記教会HPをご確認いただければと思います。
メッセージ概要
この日のメッセージタイトルは「わたしたちの喜び」。
読んだ聖書の箇所は、以下の箇所です。
1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
2 このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現われた永遠のいのちです。
3 私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。
4 私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです。
5 神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。
6 もし私たちが、神との交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。
7 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちを清めます。
8 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。
9 もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちを清めてくださいます。
10 もし、罪を犯していないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。
(ヨハネの手紙一 1章1-10節)
世間一般に言われている喜び
幸せについて、こんな説があるそうです。
一日幸せになるには、床屋や美容室へ行く。
一週間幸せになるには、車を買う。
一ヶ月幸せになるには、結婚する。
一年幸せになるには、家を買う。
一生幸せになるには、正直でいること。
髪を切って一日幸せな気持ちになれるのは、何となく納得です。
でも、車を買っても一週間で慣れてしまう、
結婚しても幸せなのは最初の一ヶ月だけ、
家を買っても一年で慣れてしまうのかと思うと、
ちょっと虚しい気がしますねm(_ _)m
最後の「一生幸せになるには、正直でいること」は、深い気がしました。
嘘をつき続けながら生きる、自分を偽りながら生きる、って、なんだかんだいって、しんどいですもん。
これって、案外、聖書の教えにも通じるような気がしました。
クリスチャンにとっての喜び
この日メッセージして下さった方は、クリスチャンならではの喜びを、以下のようにおっしゃっていました。
- 神様との交わりが持てる
- 光の中を生きることが出来る
- 罪の赦し
その通りだと思います。
でも、個人的には、「罪が赦されたから、神様との交わることが出来て、光の中を生きることが出来る」んじゃないかと思います。
なので、以下はちょっと順番を入れ替えて、わたしなりの解釈をお話しさせていただきますね^ ^
罪の赦し
最初の人間であるアダムとエバが神様に背き、罪を犯したため、以後生まれてくる人間は、生まれながらにして罪の性質を持って生まれてきます。
でも、イエス・キリストが十字架に架かり、私たちの代わりに神様の裁きを受けて下さったおかげで、私たちの罪は赦されました。
このことは、何物にも代えがたい感謝であり、喜びです。
人が悪いことをした時の態度は、2つに分かれます。
一つは「自分は悪くない」と、一切の罪を認めない人。
もう一つは、罪を正直に告白し、謝る人です。
前者の人の中には、真理はありません。
嘘を言って騙す、偽ることは、悪魔の性質。
そのことによって、悪魔は私たちを捕らえてきます。
また、罪を認めないことは、神様を偽りものにすることであると、聖書にはあります。
神様を偽りものにするということは、神様に敵対すること。神様はその人とともにはおられず、罪はますます重くなります。
罪を握り、悪魔にとらえられることは、その人にとって苦しいことです。
イエス様は、私たちがそのような状態にあることを望んではおられません。
正直に告白し、悔い改めれば、神様は罪を赦し、清めて下さいます。
相手に直接告白することは出来なくても、人には話せなくても、まずは、神様に告白してみて下さい。
きっと気持ちが楽になりますよ^ ^
神との交わり
私たちは私たちの罪のゆえ、造り主である神様との関係が断絶されていましたが、イエス・キリストの十字架の贖いにより、再び神様と交わることが出来るようになりました。
神様は目には見えず、直接肉声でお話できるお方ではないので、コミュニケーション手段は専ら、賛美と祈りと御言葉(みことば=聖書)です。
でも、神様は霊なるお方なので、そこに必ず存在して、語りかけて下さいます。
そのことによって、私はとても強められます。
光の中を生きる
罪を赦され、神様との関係が回復することによって、私たちは光の中を歩くことが出来ます。
光の中を生きることは、正直に生きること、正しく歩むこと。
逆に闇の中を生きることは、殺したり騙したり、悪いことをして生きることと言えると思います。
聖書には「もし私たちが、神との交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。」とあります。
あるアメリカの大統領が、演説で「キリストが私を変えた!」と話していたけれど、彼のやったことは、数々の戦争でした。
その人がイエス様を信じ、従って光の中を生きているようには、とても思えません。
彼は神様のことを本当は分かっていないから、自分のことも分からないんじゃないかと思います。
本当に神様に従って生きるなら、悪いことは出来ないはずです。
神様がどのような方であるか分かっていれば、出来るはずはないのです。
闇の中を生きることが本当はしんどいことだと、気付かないはずはないのです。
感想
そうは言っても、クリスチャンになったからといって、以後は100%罪を犯さないで生きられる人はいません。
「私はイエス様を信じたから以後は一切の罪を犯してはいない」という人がいたら、教えを理解していないか、思い上がっている人と思っていいでしょう。
罪を告白しないこと=罪ですからね。
この世の一生をかけて、罪を告白し続け、取り除き続けてもらわないといけないのだと思います。
罪は見なかったことにして、誤魔化していた方が楽です。
でも、神様に正直に告白し、悔い改めれば、もっと楽になることが出来ます。
イエス様は、そのように望んでおられるはずです。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました。