[ai] レビ記7章 各種の献げ物の施行細則〜和解の献げ物の施行細則 | ペパーミントパラダイス

[ai] レビ記7章 各種の献げ物の施行細則〜和解の献げ物の施行細則

こんにちは^ ^

ペパーミントあいです。

今日はレビ記7章を読みました。

レビ記7章

[ai] レビ記6章 各種の献げ物の施行細則の続きです。

本章には

  • 各種の献げ物の施行細則(6章続き、1-10節)
  • 和解の献げ物の施行細則(11-38節)
  • ※サブタイトルは新共同訳聖書より

各種の献げ物の施行細則(6章続き、1-10節)

賠償の献げ物について詳しく書かれていました。

  • 焼き尽くす献げ物を屠る場所で屠る
  • 血は祭壇の四つの側面に注ぎかける
  • 脂肪は全部切り取り、燃やして献げる
  • 肉は祭司が食べる(聖所で食べなければならない)
  • と、いったことが書かれていました。

    和解の献げ物の施行細則(11-38節)

    和解の献げ物のついて書かれていました。

    和解の献げ物には、パンを一緒に添えて献げるのだそうです。

    添え物はオリーブ油を混ぜて焼いた小麦粉の輪型のパン、オリーブ油を塗った薄焼きパン、上等の小麦粉にオリーブ油を混ぜて練った輪型のパン、酵母を入れて作った輪型のパンとのこと。

    ここに酵母を入れて作ったパンが入っていることは、ちょっと意外です。

    酵母菌って、聖書の中では膨らみ続ける自我、エゴの象徴として扱われることが多く、一見、神様への献げ物としては相応しくないように思えます。

    でも解説書によると、教会にいても聖所に入る時も、人である限り自我が消えることはない、常について回るものであることを象徴しているのだそうです。

    教会に一歩足を踏み入れたら、とたんに心が全て洗われて自我や自己中が取り除かれる、なんて夢のような話は、ないですもんね。

    (あれば、誰も教会の人間関係で苦労することはありません)

    だから、酵母を入れないパン(=自我の取り除かれたパン)と一緒に、酵母入りのパン(=自我を持ったままのパン)を一緒に献げる。

    自分で自分のエゴを取り除くことは出来ません。

    ただ神様の前に罪を告白し、心を砕き、明渡すことによってのみ、清められ、神様に近いものと変わっていくことが出来るのです。

    感想・まとめ

    クリスチャンでない方の中には「教会は聖人君主のような人が行くところ」と思っていらっしゃる方もおられるかもしれませんが、それは誤解です。

    この世に生まれた人間に、聖人なんて一人もいません。

    クリスチャンとて、人格的に欠陥だらけの罪人です。

    だから教会にも様々な問題や揉め事はあるし、教会の人間関係で苦しむ人もたくさんいます。

    教会につまずく人もたくさんいるし、かくいうわたしも、そうです。

    でも、クリスチャンが他の人と一つだけ違うのは、全知全能の神様の存在を知っていることです。

    知識としてだけでなく、感覚として、経験として知っていることです。

    だから、問題ではなく主に目を向けることが出来る。

    神様の意見を求めることが出来る。

    どんなに考えが異なり、とてもとてもお互いの意見をすりあわせることなんて出来なかったとしても、とてもとても相手の考えが受け入れがたいものであったとしても、イエス様が主であることだけは同じ。

    対立しても間に主を仲介者として挟むことで、一致することが出来ます。

    ……かくいうわたしは全然出来ていないけれど、いつか出来る、このことも神様がわたしに必要だから与えられた試練であると、信じています。

    以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!

    次回は [ai] レビ記8章 祭司の聖別の任職式 についてお届けいたします。

    お楽しみに!

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