あけましておめでとうございます!
ペパーミントあいです。
今日はレビ記26章を読みました。
レビ記26章
[ai] レビ記25章 安息の年とヨベルの年 の続きです。
本章には
- 偶像を拝んではならない(1-2節)
- 祝福と呪い(3-46節)
※サブタイトルは新共同訳聖書より
について書かれていました。
以下は、受洗1年2ヶ月目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には注釈、解説書、教会で得た知識等を総動員させていただいておりますが、聖書について詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
偶像を拝んではならない(1-2節)
偶像を造ったり、それを拝んではいけないと書かれています。
偶像とは、人が造った神様のこと。
人間を造った本物の神様以外の神々を拝むことを、偶像崇拝と言います。
先祖崇拝や、神様以外のものを神様より大事にしたり崇めることも、これに当たります。
祝福と呪い(3-46節)
神様の教えとちゃんと守れば祝福されるけれど、守らなければ呪われると書かれています。
これまでの章に出てきた教えや戒めを守れば、豊作が約束され、猛獣からも守られ、平和に暮らすことが出来ます。
でも守らなければ、恐怖が訪れ、病にかかったり、作物が実らなくなったり、食べ物を敵に横取りされるそうです。
それでも守らなければこんな災いが起こる、それでも守らなければこんな災いが、ということが、再三に渡って長々と書かれていましたm(_ _)m
でも間違いに気付いて反省し、神様の前に罪を告白するならば、神様はアブラハムやイサクやヤコブとの契約を思い起こす、と言われました。
そして、裁きを受けて敵の捕虜になっているあいだも、完全に見捨てることはしない、とも。
感想・まとめ
個人的に印象に残ったのは、以下の箇所です。
わたしは国に平安を与え、あなたたちは脅かされることなく安眠することができる。わたしはまた、猛獣を国から一掃し、剣が国を荒廃させることはない。(レビ記26章6節)
このあとの7節、8節には「あなたたちは敵を追撃し、剣にかけて滅ぼす。あなたたちは五人で百人の敵を、百人で一万の敵を追撃し、剣にかけて滅ぼす」と続きます。
なんか、ちょっと変ですよね?
「剣が国を荒廃させることはない」と言いながら「敵を追撃し、剣にかけて滅ぼす」って。
「戦争に巻き込まれることはない」と言いながら「戦争でたくさんの敵を倒す」って言われているようです。
でも個人的には、こう解釈しました。
猛獣とはライオンやトラのことではなく、ヨハネの黙示録に出てくる悪魔を意味する獣、666の獣のことで、要は、悪魔(サタン)が国を支配することはない、ということ。
「剣が国を荒廃させることはない」は文字通り、戦争で荒廃することはない、ということ。
「敵を追撃して滅ぼす」というのは、他国の兵士や民間人のことではなく、悪魔や悪魔に聞き従って惑わそうとする人達を裁いたり、正しい道に引き戻すことを意味していると考えたのですが、いかがでしょうか?
事実、後半の呪いの箇所には「あなたたちは追う者もないのに恐れて逃げ惑う」みたいなことが度々書かれていて、まさに、戦争を繰り返している国々を象徴しているように思えました。
怖いから武装して、怖いから殺られる前に殺る。殺ったことで今度は復讐が怖くなって、その恐怖から逃れるためにますます武装して、ますます攻撃して、その繰り返し。
前者のような国と後者のような国、どちらがいいのかは、歴然としていると思います。
でも現実に、世界にはどちらが多いのでしょうか?
世界中が後者のような国になろうとしているように、わたしには思えてなりません。
この日本も。
猛獣を国から一掃し、剣が国を荒廃させることがない。
そんな国になれるように、まずはわたしたちがわたしたちの国をそんな国に出来るように、今は祈り、聖書をよく読み、伝道に励みたいと思います。。。
私たちの先祖が代々に続けてきた偶像崇拝と、それゆえの過ちを告白しつつ。。。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!
次回は [ai] レビ記27章 献げ物 についてお届けいたします。
レビ記最後の章です!
お楽しみに!