こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日はレビ記21章を読みました。
レビ記21章
[ai] レビ記20章 死刑に関する規定 の続きです。
本章には
- 祭司の汚れ(1-24節)
※サブタイトルは新共同訳聖書より
について書かれていました。
以下は、受洗1年目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には注釈、解説書、教会で得た知識等を総動員させていただいておりますが、聖書について詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
祭司の汚れ(1-24節)
これまでの章では、イスラエルの民全体に対して「聖なる者であれ」と語られてきました。
聖なる民であるための掟と、それを破った時の刑罰について、詳しく書かれていました。
21章では、聖なる民の中でも特に聖なる存在として聖別される祭司についての規律が書かれています。
祭司は民の中から聖別され、それ相応の権威を与えられて神様の前に立つ人達なので、一般の民より規律が厳しいです>_<
その祭司のトップである大祭司に関しては、更に厳しい。。。
例え自分の親であっても、亡くなった人の遺体に触れてはいけないと書いてあります。
(ふつうの祭司の場合は、遺体に触れるのはダメだけど、奥さんや両親、息子、娘、兄弟と未婚の姉妹ならOK)
よいサマリア人の起源がここにあった!
新約聖書には「よいサマリア人」という有名な例え話があります。
強盗に襲われて倒れている人を、祭司や祭司に準じるレビ人といった人達は見捨てて素通りするのですが、ユダヤ人に一方的に嫌われているサマリア人が助ける、というお話。
この例え話ののち、イエス・キリストは「この中で強盗に襲われた人の隣人(となりびと)は誰だと思うか?」と尋ねるんですよね。
要は、自分の隣人、周りの人達に対して、このサマリア人のように親切にしましょうね、という教えです。
ここで祭司とレビ人が強盗に襲われた人を見捨てたの、実は、この章に書かれている規定「遺体に触れてはならない」という決まりを守らなければならなかったんです!
倒れている人に触れずに、生きているか死んでいるか判別することはまず出来ないので、死んでいるかもしれないと思ったから素通りした、と考えることが出来ます。
……それでも、助けを呼ぶとか出来なかったのかと考えると、冷たいと言わざるを得ないですけどね;;
ふと、そんなことも思い出した箇所でした^ ^
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!
次回は [ai] レビ記22章 聖なる献げ物について についてお届けいたします。
お楽しみに!