こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日はレビ記17章を読みました。
レビ記17章
[ai] レビ記16章 贖罪日 の続きです。
本章には
- 献げ物をささげる場所(1-9節)
- 血を飲むな(10-16節)
※サブタイトルは新共同訳聖書より
について書かれていました。
以下は、受洗1年目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には注釈、解説書、教会で得た知識等を総動員させていただいておりますが、聖書について詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
献げ物をささげる場所(1-9節)
神様に献げる動物(牛・羊・山羊)は、必ず臨済の幕屋の前で屠って献げなければならないと書かれています。
自分たちが食用として食べる場合も、一度和解の献げ物として献げてから食べるように、とのこと。
※和解の献げ物については、下記記事をご参照のこと。
[ai] レビ記3章 和解の献げ物
[ai] レビ記7章 各種の献げ物の施行細則〜和解の献げ物の施行細則
間違っても、偶像に献げてはいけません。
聖所に携えずに屠った場合、神様に献げる清い動物をいたずらに殺した見なされ、民の中から断たれます。
また、このような規定がなされたのは、次に言われている「血を飲むこと」を防ぐためでもありました。
血を飲むな(10-16節)
いかなる動物の血も飲んではならない、と書かれています。
血は命。命は神様のものだから飲んではいけない、と、神様は言われました。
これを食した者は、民の中から断たれます。
感想・まとめ
血は命であるという表記に、とても心を打たれました。
生活習慣病って、多くが血液や血管に関する病気ですもんね。
血が命そのものであるというのも、納得です。
でも、旧約聖書では厳しく禁じられていた「血を飲む」という行為を、現代のクリスチャンは、聖餐式という儀式の中で行っています。
聖餐式では、イエス・キリストの血に見立てたぶどう酒(ぶどうジュース)と、肉に見立てたパンを食べます。
これは、イエス・キリストの命が私たちの中に宿ることを意味しているんですねぇ。
神様がイエス・キリストを私たちのために与えて下さったことを、表しています!
旧約聖書で血を飲むという行為が固く禁じられていたことを思うと、いかに大きな恵みであるのか、思わずにはいられません。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!
次回は [ai] レビ記18章 いとうべき性関係 についてお届けいたします。
お楽しみに!