こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日はレビ記16章を読みました。
レビ記16章
[ai] レビ記15章 男女の漏出による汚れと清め の続きです。
本章には
- 贖罪日(1-34節)
※サブタイトルは新共同訳聖書より
について書かれていました。
以下は、受洗1年目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には注釈、解説書、教会で得た知識等を総動員させていただいておりますが、聖書について詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
贖罪日(1-34節)
これは、[ai] レビ記10章 祭司ナダブとアビフの違反 の直後に、神様がモーセに語られたことです。
大祭司アロンと言えど、決められた時以外は、垂れ幕の奥の至聖所に入り、契約の箱の上の贖いの座に近付いてはいけないと警告されています。
アロンが至聖所に入っていいのは、第七の月の10日。
特別な贖罪の苦行の儀式を行う時のみです。
その時の儀式のやり方、作法について書かれていました。
この時用意するのは、大祭司とその一族用の若い雄牛一頭と雄羊一匹。
雄牛を贖罪の献げ物、雄羊を焼き尽くす献げ物として献げます。
次いで、全てのイスラエルの民のための雄山羊二匹と雄羊一匹。
うち、雄羊は焼き尽くす献げ物として献げます。
二匹用意した雄山羊は、くじを引いて、神様への贖罪の献げ物用と、アザゼル用のものに分けます。
贖罪の献げ物用の雄山羊は、通常の贖罪の献げ物として焼いて神様に献げ、アザゼル用のものは、生きたまま全ての民の罪をその山羊に移す儀式を行ったあと、二度と戻って来ないように荒野に放します。
一羽の鳥は殺し、一羽の鳥は放す清めの儀式(参照 : [ai] レビ記14章 清めの儀式〜家屋に生じるかび)と似ているようにも思えますが、この山羊は、自由になるというよりは、何もないところに放り出されるので、これはこれで残酷な気がします。
これは十字架に架けられたイエス・キリストが、全ての人の罪を背負い、父なる神様にも見捨てられ、孤独に苦しむ姿を表しているとされています。
旧約聖書で贖いの犠牲になる動物の姿には、御子キリストの姿を重ねずにはいられません。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!
次回は レビ記17章 神聖法集 献げ物をささげる場所〜血を飲むな についてお届けいたします。
お楽しみに!