こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日はレビ記11章を読みました。
レビ記11章
[ai] レビ記10章 祭司ナダブとアビフの違反の続きです。
本章には
- 清いものと汚れたものに関する規定(1-47節)
※サブタイトルは新共同訳聖書より
について書かれていました。
以下は、受洗1年目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には注釈、解説書、教会で得た知識等を総動員させていただいておりますが、聖書について詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
清いものと汚れたものに関する規定(1-47節)
神様は、モーセとアロンに、清い動物と汚れた動物についての規定を告げられました。
またそのことを、イスラエルの民全員に伝えるように言われました。
食べても良い動物は、ひづめが完全に分かれていて、かつ反芻するもののみとのこと。
牛とか羊とか山羊ですね。
らくだは反芻はするけれど、ひづめが割れていないからダメ、
岩狸、野兎も反芻するけれど、ひづめが割れていないからダメ、
猪(豚)は、ひづめは完全に割れているけれど、全く反芻しないからダメ。
これらの動物は全て、汚れたものとして分類されます。
魚類の場合は、ひれ、うろこのあるものはOKで、その他は全てNG。
魚は食べていいけれど、貝やエビやカニは汚れた動物に分類されることになるようです。
鳥類は禿鷲、ひげ鷲、黒禿鷲、鳶、隼の類、烏の類、鷲みみずく、小みみずく、虎ふずく、鷹の類、 森ふくろう、魚みみずく、大このはずく、小きんめふくろう、このはずく、みさご、こうのとり、青鷺の類、やつがしら鳥、こうもり以外はOK。
虫は基本全部ダメだけど、地面を跳躍するのに適した後ろ足を持っているもの(イナゴの仲間など)はOK。
足に肉球を持っている動物、爬虫類も汚れた生き物に分類されます。
これらの動物に関する規定が、事細かに書かれていました。
神様が造られた生き物なのに、なぜ汚れているの?
ここで清いとされている動物も、汚れているとされている動物も、全て[ai] 創世記 1章 〜天地創造。それは極めて良かった〜にて神様が想像され、「極めて良かった」とされたもの。
それがなぜ汚れているとされるのかというと、注釈には「宗教的な清さ・肉体の健康・異邦人との区別のため」と書いてありました。
豚については、今でこそ何ら問題なくいただけるものの、昔は相当しっかり焼かないと食中毒の危険がありましたからね。
ここで汚れたものとして挙げられている動物は、食べると食中毒になったり、病気が伝染する可能性が高いものであったと考えられます。
旧約聖書の時代には異教徒に用いられている動物でもあったようなので、神様の民として、異邦人と区別される意味合いもあったようです。
ひづめの割れは聖別、反芻は御言葉の反芻を表す
また、宗教的な清さという点では、解説書にこんなことが書いてありました。
食べて良い動物の条件は、ひづめが完全に分かれていて、かつ反芻するもの。
ひづめが完全に割れていること=この世と完全に聖別されていること
反芻する=御言葉を反芻する
上記のことを意味します。
この世と聖別され、教えを反芻することは、とても大切なことですね。
清いとされる動物は、そのことを表していたのですね。
感想・まとめ
神様との時間を聖別することの大切さは、[ai] レビ記8章 祭司の聖別の任職式でもよく学びました。
でも、反芻することの大切さは、ちょっと私自身、舐めていたように思えますm(_ _)m
そういえば、学校でも教わりましたよね。「今日学んだことは、家に帰って復習しなさい」って。
神様の教えも、同様ですね。
ちょっとここ最近、聞いたら聞きっぱなし、ブログにUPしたらUPしただけで満足してしまっていたことを、とても反省いたしました。
私はせっかくブログという便利なものに教えを書き残しているというのに、活用しないのは、もったいないですね。
ブログに書き残すことで、多くの人に教えを拡散するだけでなく、自分自身の復習のためにも用いようと思います。
ふと、前の章でアダブとナビフが、せっかく祭司として聖別されたのに神様の怒りに触れる違反を犯してしまったのは、聖別されただけで、教えをちゃんと反芻しなかったからではないか?と、思いました。
そう考えるとなおのこと、反芻することを舐めてはいけないように思えました。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!
次回は [ai] レビ記12章 出産についての規定 についてお届けいたします。
お楽しみに!