こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
今日はレビ記10章を読みました。
レビ記10章
[ai] レビ記9章 アロンによる献げ物の初執行〜アロンの祝福の続きです。
本章には
- 祭司ナダブとアビフの違反(1-20節)
※サブタイトルは新共同訳聖書より
について書かれていました。
以下は、受洗1年目のわたしが本章を読んだ感想です。
解釈には注釈、解説書、教会で得た知識等を総動員させていただいておりますが、聖書について詳しくお知りになりたい方は、お近くの教会へ行って、牧師先生に聞いてみて下さいね^ ^
祭司ナダブとアビフの違反(1-20節)
大祭司アロンの息子の祭司ナダブとアビフは、神様の命じられたものとは違う、規定に反した火で香を焚いたため、神様の怒りに触れて焼き殺されました。
ちゃんと勉強し、聖別され、油を注がれて神様に選ばれた祭司にとって、規定を軽んじることは神様を軽んじること、大罪でした。
モーセはアロンに、神様の神聖さ、神様は神様に近付く者に栄光を現すことを説き、アロンは黙って納得します。
神様はアロンに「あなたもあなたの子も、臨済の幕屋に入る時は強い酒を飲むな」と言われました。
ナダブとアビフは、酒に酔っていた可能性が高いようです。
モーセは残ったアロンの息子・エルアザルとイタマルに「(兄弟の死を)悲しんでもいいけれど、祭司としての役目は全うするように」と命じました。
彼らも神様に選ばれ、油を注がれて聖別された祭司。
その役目を投げ出したり、兄弟の死を悲しむあまり、神様に逆らうような真似をすれば、彼ら自身にも神様の怒りが及んでしまうためでした。
また、彼らが誤った方向へ進めば、イスラエルの民全体が誤った方向へ進んでしまい、神様の怒りを買う恐れもあるためでした。
その後、アロンと息子たちは、本来祭司が食べるはずの贖罪の献げ物の肉を、燃やして処分します。(これは前の章で、民が献げたものです)
悲しみで食欲がなく、また、自分たちの兄弟が大罪を犯したという罪の意識から、自分たちがこれを食べたところで、民の罪や咎を取り去ることは出来ないと考えたからでした。
そのアロンの言い分に、モーセはもっともだと納得しました。
感想・まとめ
ちょっと違うことしただけで焼き殺されるのか!と、度肝を抜かれてしまう箇所ではありますが、祭司という職業柄、その罪はとても重いようです。
人間、これくらい手を抜いてもいいか、と思い始めると、どんどんどんどん雑にするようになりますからね。
神様に対してそのような態度を取ることを、神様は許されませんでした。
それを分かっていながらやった彼らは、謝ったり反省する機会さえ与えられず、その場で罰せられます。
同時に、ちゃんと勉強し、聖別され、油を注がれて清くなったはずの祭司でも、このような大罪を犯してしまうことがあることも、忘れてはいけません。
ちゃんと聖書を知っていて、聖霊に満たされている人なら絶対に間違えるはずがないことはないのです。
私たちクリスチャンは、牧師や先輩クリスチャンという人ではなく、主に目を向け、主を一番の拠り所にしなければなりません。
神様の声を一番に聞かなければなりません。
でも、クリスチャンになりたての人は、牧師や先輩クリスチャンに解き明かしてもらわないと、神様のことが分からないもの。
牧師やベテランのクリスチャンが間違えれば、多くの人たちを間違った方向へ導いてしまうことに繋がります。
だから、上に立つ者の罪は重いのでしょうね。
以上、ペパーミントあいがお届けいたしました!
次回は レビ記11章 清いものと汚れたものに関する規定 についてお届けいたします。
お楽しみに!